「人類の進歩に、善も悪もない。」
この映画に出てくる科学者たちは、人の進歩したいという性を如実に表している。
人類の知的好奇心と進歩したい、今よりもっと良くなりたいという強烈な欲求は、とどまるところを知らないからだ。
彼らには、善も悪もなく、ただ己を満たしたかっただけなんだ。
その結果の原爆・水爆の誕生、日本人の大量死、第二次世界大戦の集結、核兵器による軍拡の負の連鎖、原爆の凄惨さを目の当たりにした世界の核兵器行使の自粛、、、立場によって変わる善と悪。
まさに、人類進歩の功罪だ。
オッピーが成功してなくても、他の国が核兵器を完成させていただろう。
遅かれ早かれ、人類はこの小さな種から生まれた大きすぎる果実に苛まれる世界を避けられなかったに違いない。
だからもう、事実は事実として受け入れるし、そこに繰り返すべきでないことがあったなら、それを避けて進んでいくしかない。
人類は死屍累累の上に進歩してきた生き物であり、文明だ。
原爆だけではない。このレビューを書けて、多くの人々に届く便利なテクノロジーですら、功罪を孕んでいる。
人類の進歩したい欲求は、1日たりとも止まらないし、止まれないし、今も進み続けている。
そこに至る過程の犠牲や、その結果による功罪の中で、今やこれからの人類文明が続いていく。
僕らは、これからの選択を肯定できるように、今とこれからを生きるしかない。
物事の意味や価値は、それそのものでなく、受け手の中に見い出されるものなんだと強く思った。