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オッペンハイマーのtakaoriのレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.7
2024年82本目
劇場30本目

大傑作! アカデミー賞最多7部門も納得の素晴らしい映画で、間違いなくノーランの最高傑作であり、これまでの彼のフィルモグラフィの集大成だと思う。VFXの派手さやトンチキなSF設定でどちらかというとキワモノ扱いされてきたノーランが、まさに「巨匠」と呼ばれるに相応しい存在になる瞬間に立ち会えたような気がして、感慨深い。
とは言え万人向けの映画ではないのも事実。これまでのノーラン作品よりエンタメ要素は控えめで、静かな力強さを持った一作だ。史実に基づく伝記映画である本作の鑑賞には、少なくとも以下の知識が不可欠なので、ある程度解説などを読んで予習してから観た方が楽しめると思う。目で見て耳で聞いて頭で考える、大変に知的でハイレベルな映画である。
・第二次世界大戦と戦後の政治史、とりわけナチスのユダヤ人迫害や、戦後の冷戦の本格化にともなう「赤狩り」の問題に関する知識。トルーマンが原爆をどう捉え、戦後どう使おうとしたかや、「マッカーシー」「フーバー」などの人名から連想される赤狩りの歴史は、説明されなくてもピンと来なくてはいけない。ハリウッドにおける赤狩りで、数多の映画作家が冷や飯を食わされたことも知っておきたい。
・高校レベルの原子物理に関する知識。化学反応と核反応の違いや、陽子・中性子・電子とは何か、ウランやプルトニウムがどういう性質を持つ元素か、アイソトープ(放射性同位体)とは何か、核分裂と核融合の違い、など。
これらの知識に加えて、これまでノーランが得意としてきた手法(時系列の撹乱、映画の始まりと終わりがつながる構成、IMAXフィルムカメラを用いて実写にこだわる撮影、不安を煽る劇伴など)が、今回の史実に基づく会話中心の人間ドラマにどう活かされているか、というところまで分かってはじめてその真髄が見えてくる(偉そうに書いているが、自分でもどれだけ理解しているか甚だ心もとない)。180分は必要な長さであるどころか、無駄なシーンが全く無く、静かなドラマなのに退屈するところが無い。フィルムの質感や臨場感あふれる劇伴によって、まるで自分がオッペンハイマーら登場人物と共にその場にいるかのような感覚にさせられ、緊張感みなぎる3時間だった。
中でもトリニティ実験のシーンは、どうなるかは史実から知っているのに、世界が終わるのではないかという冷や汗が流れるような緊迫感があり、スイッチを押す瞬間は観客のこちらまで本当に怖いと思った。また、広島長崎への原爆投下の後で、オッペンハイマーがロスアラモスの人々から万雷の拍手で迎えられ、スピーチをする場面の恐ろしさもすごい。これら2つの場面は、劇伴をあえて止め、無音にすることで激しい不安を煽っている。とにかくこの映画の演出の上手さには舌を巻くばかりである。
日本での劇場公開前には、広島と長崎の原爆投下の場面がないことに関する議論もずいぶんあったが、実際見てみて、その場面は本作で描かれるべきではないし、描かれる必要もないと思った(異論はあるだろうが)。この映画は、歴史の流れを客観視するのではなく、あくまでオッペンハイマーとその仇敵であるストローズという、2人の愚かで卑小な男の一人称視点で物語が進んでいく。だから、オッペンハイマーが自分の目で見たトリニティ実験の核爆発は描かれるが、彼が見ていない広島・長崎は描かれない。劇中の描写の通り、オッペンハイマーは原爆投下を電話で知ったからである。それでも、22万人という犠牲者の数や、足元に転がる黒焦げの死体など、その悲惨さを伝える描写は確実に織り込まれている。
そもそも、広島や長崎でどんな悲劇が起こったかは、いまさら映画で描かれなくても知っているべきことだ(日本人なら広島や長崎の原爆資料館を一度は見ておくのが当たり前だし、この映画のヒットは、アメリカ人はじめ海外の人々に原爆の悲劇を学ぶきっかけを与えている)。むしろ日本人がこの映画を見ることの意義は、なぜアメリカは原爆を開発し、そして日本に落としたのか、という「あちら側」の事情を知ることにあると思う。日本への原爆投下を決めるアメリカ人たちの論理には確かに腹立たしい部分もあるが、それらを美化せずに提示することは、有意義だし誠実な姿勢と言えるだろう。
この映画は、決してオッペンハイマーを英雄化しておらず、自らの責任を直視できない愚かで弱い人間と描いており、そのことを通じて原爆投下を「愚行」として断罪している。そのことは、オッペンハイマーが劇中で二度見る、原爆で顔がただれた女性のビジョンにもはっきり表れている。あの女性は、クリストファー・ノーラン自身の娘さんなのだそうだ。なんと力強いメッセージか。彼がどちらを向いてこの映画を作ったのかがよく分かる。
原爆に対するノーランのメッセージは、登場人物のセリフでも表現されている。中盤で愛人ジーンが死んだことで、オッペンハイマーは自分のせいだと自責の念に駆られるが、それを見た妻キティの「自分がしたことの結果に苦しんでも共感は得られない」という言葉が、重く冷たく響く。言うまでもなく、これは彼がやがて原爆投下の罪に苛まれることの予告であり、ここに本作の主題が端的に表れている。一人の人間の生死と、世界の命運が直結するのは『インターステラー』や『テネット』でも同じだが、このいかにもノーラン的なモチーフを史実に接続し、世界を変えてしまった一人の人間の生きざまを描き出す手法の鮮やかさたるや。「世界を壊した」と語りながら、救国の英雄にも悲劇のヒーローにもなれず、どこまでも等身大の人間として生きながら、世界と自分との関係を考え続ける一人の男の姿が描かれている。(と言いつつ、「凡人」代表のストローズとの対比ではしっかり「天才」と位置付けられるのだが)
ラストシーンで、冒頭の場面でアインシュタインがオッペンハイマーに語った言葉の中身が明かされる。この場面は、オッペンハイマーとはまた違った愚かさを見せるストローズの滑稽さを際立たせるものだが、同時に本作が「マンハッタン計画」を映画作りになぞらえ、クリエイターの責任を徹底的に追求する映画でもあることを考えると、アインシュタインの言葉は、結果的にオスカー監督賞、作品賞に輝いたノーランの言葉としても捉えられ、実に味わい深い。ノーランがここまで自分の持ち味を洗練させ、映画としてのレベルを他の追随を許さないほどに高めたことは、実に素晴らしいことだと思う。
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