ジェイD

オッペンハイマーのジェイDのネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

議論を始めるための映画だ。原子爆弾を作った男の半生を通して技術の進歩や戦争の勝利への急ぎの中にどれだけ倫理を巡らせることができるのか。複雑で神経質な1人の男によって世界の在り方が一変したという事実から、もう一度核と戦争、人間の業を考え直すためのスペクタクル。

第二次世界大戦下、天才物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマーはアメリカの極秘プロジェクトの指揮に選ばれる。集った優秀な研究者たちによって原子爆弾の開発に成功するも、その後待ち受けていたのは核のある世界への葛藤と矛盾だった。

アメリカ側から見てなるべく中立的に核の問題に向き合おうとしている「姿勢」は感じた。未だに2つの原爆投下によってあの戦争が終わったという認識が多くを占めている国の映画の中で、その結果世界中に核兵器保有国が増えつつあり、すぐにでも地球が一瞬にして地獄に変わってもおかしくないという現実を示していたのは見事だった。遅すぎるくらいだけど。終戦から80年弱経ってやっと、やっとそんな当たり前を映画の中で示せるようになったのかと。自分も家系を遡ると1945年の8/6に広島で亡くなった人がいるので、ノーランがこの題材の映画を作ると聞いて憤りに近い感情もあったのだが、頭ごなしになんでも否定するのも良くないと思って、なるべく理解をしようと試みたのだけど。鑑賞後は割り切れない気持ちもありながらも見事と感じた。

そもそもそんな兵器を作るきっかけもまた、ナチスが強い兵器を作るより先にこちらが作れという武力競争の焦りから来ている。本当にそれは抑止力になっているのか?劇中のセリフを使えばそれは冷戦の始まりであって、互いに緊張するだけでボタンはすぐ指の先にある状態でせめぎ合っているだけじゃない。

そこに研究者としての「やれるか?やれないか?」という興味が加わる。鑑賞中少し頭をよぎったのが、ジブリの『風立ちぬ』だった。オッピーと堀越二郎を比較すると、どちらも人の命を奪うものに対して科学的・工学的観点においてある種のロマンに近いものを感じているものの、作品内での感情のフォーカスには違いがある。どちらも戦争に必要と急かされながらそれぞれの専門的知見から兵器の完成に尽力していくし、その半生において人として感情を翻弄される。しかし今作『オッペンハイマー』では、完成させた後の「これやってよかったのか…?」という疑念と葛藤がずっしりと描かれていた。

ずっとオッピーだけが核兵器は世界を壊すかもしれないと恐れている。他のアメリカ人はみんな隣国との争いやスパイがいるかとか人間どうしの不安や妬みをぶつけ合っている。天才だけがことの重大さに気づいている、誰よりも先に核の本当の脅威を予測している。ただ核兵器の開発を止めようとしているだけなのに共産主義者だと責められる姿、私怨で罵るストローズの対峙も赤狩りの背景を色濃く纏っていてなかなか厄介。同じく天才・アインシュタインが呆然とするほどの悪夢がもはや現代に顕在化してきている。

日本に関する描写が少ないことは日本人として気にはなったけど、当時のアメリカ情勢とか考えたらそれが"リアル"だったとも受け取れる。観客には映されない広島・長崎の惨状に対して目を逸らすオッピー、それでいて幾度となく現れる閃光と被曝の幻覚。やはりそうした描写は胸が苦しくなるし、しかし実際に起こった爆心地の被害を考えるとまだ全然不誠実とも思える。アメリカという国はオッピーのようにずっと核兵器の現実から目を逸らし続けてきたが、そろそろちゃんと直視して欲しい。

ここまで没入できるのもモノクロのカットや特撮を用いた粒子の描写などの視覚的な見せ場や、緊張感を煽る轟音とゴランソン先生の劇伴による聴覚的体験が素晴らしいため。ただあえて言うなら、観るならIMAXの方がいいかもだけど無理してデカい箱を選ばなくていいということ。せっかくのノーラン映画だし近くにあるなら足を運ぶに越したことはないけど、今回ばかりは画角うんぬんよりしっかりと内容を咀嚼して感想をぶつけ合って議論することの方がよっぽど大事。情報量もエゲツないので、あの時アメリカで何が起こっていたのか、なぜ日本で史上最悪とも言える惨劇が起こされるに至ったのかを整理するためにも冷静に鑑賞するのもアリだろう。

現実としてもう後戻りできない世界になってしまって、戦争も長年続いてる中で日常を生きているけど、もう話し合う以外解決への道が無い。この映画もそうした議題に関しては提示するに留まっている気がするものの、別に核の使用を賛美しているわけでもない。二度と原爆や水爆は地球上で使われてはいけないし持つべきじゃないのは至極当然なんだけど、なぜそんな簡単なことが世界の指導者たちはできないのかの理由を垣間見れる。天才たちが科学と人間の可能性を推し進める裏に潜む暗示と複雑で矛盾した1人の人間。パンドラの箱を1人の男が如何にして開けたのかを日本人の立場から考えるのも今後のためには必要なことかもしれない。
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