デッカード

ある男のデッカードのレビュー・感想・評価

ある男(2022年製作の映画)
3.5
突然の事故で死んだ夫は別人だった。
夫はいったい誰だったのか?

夫を亡くした妻・里枝を安藤サクラ、謎の男夫の「X」を窪田正孝、男の正体を探ることになる弁護士の城戸を妻夫木聡がそれぞれの苦悩を奥深く演じている。

自分の血脈を隠して生きてきた謎の男の正体に迫る城戸は、いつしか男の人生に自分の生き方を重ね合わせて深淵に落ちていく。

劇中何度も擬装ワインの"ラベル"の張り替えについての話が出てくるのだが、人間の名前に象徴される肩書きや職業などの"ラベル"をいくら張り替えたとしても、血脈・ルーツといった逃れられない本質は決して変えることができないという残酷な現実が示唆されている。

"なりすまし"を描いた創作物はたくさんあるが、何度か映画やドラマ化されているがなかなか原作小説を超えられない宮部みゆきの代表作『火車』は先駆的だったし、衝撃度も超一級だった。
有名作ですが、未読でしたらぜひご一読をおすすめします。

途中エピソードとして女性がSNSの偽アカウントを作るくだりがあるのだが、現代においてはSNSの世界は自分を自分としてではなく生きていくことが簡単にできる場所であることもさりげなく描かれていて興味深い。

社会的に偏見を持たれるルーツゆえに"ラベル"を張り替え違う人生を生きることを選んだ謎の男「X」と、肩書きで自分を守りながらも他人になってしまいたい誘惑に駆られる城戸の内面が、それぞれの血を受け継ぐ子どもたちへの視点でさりげなく間接的に描かれていることがその悩みの深さと重さを物語っている。

しかし人間の本質は本当にルーツや血脈で決まるものなのか?決めていいのか?
個として人間がその人らしく生きること、生きたことの意味の重さはその人の名前に象徴される肩書きや職業などだけでで決まるものなのかを映画は問いかける。
里枝と息子の短い描写だが、静かで力強い決断とこれからを生きる"人"への期待は、決して甘いものではないだろうが希望であり救いになっていると信じたくなる。

最近好々爺になってしまった感の強かった柄本明が、久々に『羊たちの沈黙』のレクターばりの怪演を見せ、肩書きで自分のラベルを張り替えようと足掻く城戸の内面をえぐるシーンは印象的。

無慈悲な現実から他人になって逃れたいという、意外とたくさんの人が考えたことのあるかもしれない誘惑に人はどう向き合うことができるのかをあらためて考えさせる。

※2022年キネマ旬報ベスト10日本映画2位
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