その男 ニコラス・ケイジ
~限りなくB級に近いA級スターが自身へ向けたシュプレヒコール的作品は、限りなくC級に近い自虐系セルフパロディなのだ
‐ニコラス・ケイジはオスカータイトル保持者(あまりそう見えないが)
ニコラス・ケイジ、1996年第68回アカデミー主演男優賞受賞(ACTOR IN A LEADING ROLE)
れっきとした米国オスカー俳優の一人なんだけど、なぜだろう自分からみると大御所感もなければ、オーラも感じない(笑)
たぶんそれは、彼が出演する作品のフリ幅が広すぎることが原因なのかもしれない。
え?こんな役までやるの?オスカー俳優が?みたいな。
(昔パチンコのCMに出てた時は、そっくりさんを起用したと思ったが本人だった)
そして本作は、ニコラス・ケイジ自身が、俳優ニコラス・ケイジを演じる。
自叙伝や半生ではなく、あくまで自身をパロった自虐的なセルフパロディとして。
アカデミー主演男優賞を受賞した際のステージでは、緊張しぃなのか、予め用意していたカンペみたいな紙をちらちらみながらのコメントが初々しかったニコラス・ケイジ。
そのオスカーのプライドを捨てたというと失礼かもしれないが、なんでもやりまっせ!という、なりふり構わない覚悟がこの作品からは伝わってくる。
‐ニコラス・ケイジを知らなくとも楽しめる
あらすじはシンプル。
ニコラス・ケイジはちょっとここ最近スランプ気味というかアクターとして需要が落ちてきた。
そこへ持ってきてスペインの農園経営で財をなしたという大富豪ハビから個人のパーティーにきて欲しいと。
ギャラが破格。
ハビは大のニコラス・ケイジのファン。
仕事もないし、ギャラがいいので、やる気が出ないが行くことに。
実際行くと、そこはプライベートビーチあり~の風光明媚な、いかにも大富豪の豪奢な暮らし。
そしてハビの「ニコラス・ケイジ愛」が止まらない。
ハビはニコラス・ケイジが主演する映画を作りたく脚本を構想中。
2人はすぐに意気投合し、ケイジも長年の友人みたいな感覚でハビに親近感を持つようになる。
ところが、どうやらハビは裏組織に通じているようで、政治絡みの女の子の誘拐事件の首謀者らしく、CIAからケイジにスパイするように説得される。
友人を裏切りたくはないが、自身の娘と同じ年頃の女の子をほっておくこともできず、葛藤するケイジ。
。。。
ケイジとハビが薬でハイになり、追われていると幻覚作用から逃げ惑うシーンなんかは、昔ながらのベタなコントで、そのお約束的オチはC級レベル扱いだが、ついつい笑ってしまう。
ハビのニコラス愛を証明するコレクションルームには、ニコラス・ケイジの等身大フィギュアが置いてあって、ケイジがそれをみながら「グロテスクだなぁ」と言いつつも、いくらで買ったのか?とハビに聞いたら6千ドルと答えるので、2万ドルで譲って欲しいというケイジ、売れないと断るハビ
とか、
あるカーチェイスのシーンで、ハビが、
ハビ「昔◯◯の映画で運転してたじゃないか」
ケイジ「あれはスタントだ」
ハビ「メイキングでは自分で運転してたと言ってた」
とか
スパイをやってる際に誤って眠り薬付きのシールを触った手で、自身の額を撫でてしまい、すんでのところで気を失いそうになったところ、CIAが無線で「アクション!」と声をかけると、パリッと目を覚ますニコラス・ケイジ(映画俳優の無条件反射が染み付いている)
とかとか、彼のファンなら楽しさ倍増かもしれないが、ファンでなくともそこそこ笑える。
‐ニコラス・ケイジ自身へのシュプレヒコール的作品
ニコラス・ケイジのようなスターが自虐的に自身を演じるからこそ笑えるという、ある種のギャップ萌えのフレームワークに助けられているところが大きい本作。
もともと役者って自身を切り売りするようなジレンマを抱えている職業だと推察するが、ニコラス・ケイジって役者は、それを地で行くようなところがあり、本作はまさにその集大成とも言えそう。
ラストもそうだが、何度となく、「ニーーーーーーーークッ、ケイジ!!!!」と雄たけびを上げるシーンがある。
あれは、自身へのシュプレヒコールだと解釈した。
これからのニコラス・ケイジ、「がんばれよ!俺!」ってとこなんだろう。
いやはや、その姿勢に感動した。
(いや感動は言い過ぎか笑)
※本レビューの冒頭タイトルは、ジャン=クロード・ヴァン・ダム(アクション肉体派俳優として名を馳せたがその後フェードアウト、いやアウトはしてないか)が、自身のスター生活の凋落ぶりを自虐的に扱い、本人が本人役を演じた「その男ヴァン・ダム」から拝借した。