dm10forever

年に一度の再会のdm10foreverのレビュー・感想・評価

年に一度の再会(2015年製作の映画)
3.9
【ピーターパン】

兄弟って、自分にとって「最初から大人」の親と違って、一緒に成長する最も近くで時間を共有出来る存在なのかもしれない。

例え離れて暮らしていても、例え何年ぶりに会ったとしても、一瞬で同じ距離感に戻れる。
お互いどんなに歳をとっても、やっぱり「あの頃」のまま。
勿論、大人になるにつれ面倒事も増えて「近いからこそ許せない」なんて事もあるかもしれないけど…。
でも、いつまで経っても、何歳になっても「お兄ちゃん」は「お兄ちゃん」だし、「弟」は「弟」であることは変わらない。

―――ある日の朝早く、郊外にある墓地の駐車場で待ち合わせる二人の男。二人は年に一度だけこの場所で再会する兄弟だった。

「来ないかと思ったよ」
「なんで?約束を破ったことはないよ」

二人はお互いの近況を話ながら墓地の中へと入って行き、ある墓標の前で止まる。
すると今度はおもむろに着替え始めた。

(お墓参り・・・え、まさか墓場泥棒?)

なんだか「義務的」な雰囲気すら漂わせながら、二人は手際よく「準備」を進める。
・・・そして、二人が始めたのは「ピーターパン」の寸劇だった。
観客はどこにもいない。ある一基の墓標を除いて・・・。

彼らは何年も前に亡くなった母の墓参りに来ていたのだった。
そして、二人が子供の頃に母の前で演じた「ピーターパン」は、母がとても気に入ってくれていたので、毎年母の命日には二人揃ってこの寸劇を母にプレゼントしていたのだった。

(学校で勉強して大人になる。退屈な勉強なんていやだ!僕は誰の指図も受けない!)

大の大人がピタピタの衣装を身に纏い、誰もいない早朝の墓地でピーターパンの寸劇を演じる。
傍から見ればシュールな光景だけど、これがこの二人にとってのルーティン。

「もうこんな時間か・・・時が経つのは早いな・・」

それは今日だけのことを言っているのではなかった。
こうしてここにくれば「あの時」に戻ってこれるからこそ、現実に戻ったとき、自分が「あの時」から随分遠くまで歩いてきたことを実感する。

「もう止めにしよう」
「どうしてやめるの?僕に会いたくない?」
「・・・もう大人だから」
「もう大人だからこそ、僕は自分の事は自分で決められる。今まで僕のことは全部兄さんが決めてきた」

初めてぶつけ合う兄弟の「大人の本音」
ママを亡くした後、弟のためにいつも「強くて優しいお兄ちゃん」でいなければいけないという重責と葛藤。
お兄ちゃんはお兄ちゃんでずっと辛かった。

「大人になれ」
「他の人みたいに?ママには花を贈れっていう事?ママはそんなありきたりの人じゃないよ」

いつの間にか、2人はそれぞれ大人になっていた。
知らないうちに、それぞれ遠いところまで歩いていた。
でも、2人の関係性はいつまでも「あの時」の仲のいい兄弟のまま変わることはない。

どんなに離れていても、毎年「この日」に「この場所」で会う。
ママにとっては2人は「ピーターパン」を元気いっぱい演じてくれたあの時の「可愛い坊やたち」。
そしてどんなに年をとっても、ママの前で「ピーターパン」を演じる2人はあの時の「わんぱくで仲のいい兄弟」。

確実に進んで行く時の流れの中で、唯一永遠に変わらない関係。

「僕たちの決着のつけ方、覚えてる?」
「もちろん」

おもむろに地面に荷物を置き、構える2人。
取っ組み合いでも始まるのか?

(アン、ドゥ、トロワ!)

真剣勝負の「ジャンケン」で決着をつける2人。
「やった!!僕の勝ちだ!!」
喜ぶ弟を抱きしめるお兄ちゃん。

満面の笑顔の2人はいつまでも「あの時」のまま。
そう、まるで「ピーターパン」のように。
dm10forever

dm10forever