櫻イミト

The Seed of Man(英題)の櫻イミトのレビュー・感想・評価

The Seed of Man(英題)(1969年製作の映画)
4.0
「東風」(1969)「豚小屋」(1969)のアンヌ・ヴィアゼムスキーが同年に主演した近未来ディストピア映画。監督はイタリアの鬼才マルコ・フェレーリ。題名の意味は「人類の種子」。

ドライブ中の若いカップル、チノとドーラ(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は立ち寄ったレストランで「他国の戦争による放射性疫病の可能性」のテレビニュースを観る。長いトンネルを抜けたところで軍の検問所に出くわし沢山の死体が詰まれたバスを目撃。軍は非常事態を告げ、今後はこの先の隔離地帯で生活することを命じられる。二人は海沿いの空き家を見つけて自給自足の生活をスタート。数日後、軍人と司祭で構成された国のエージェントが訪問し、人類存続の為に子供を作ることを推奨される。チノは同調するが、ドーラは絶望の世界に子供を残すことを否定する。その後、二人のもとに年上の女性が現れチノを誘惑、ドーラを排除しようとするが。。。

聖書「黙示録」の要素を散りばめたディストピア寓話だった。難解ではないが暗喩の解釈が様々にできる語り口で、個人的にはパゾリーニ監督作を優しくしたような演出が好み。テーマはフェミニズムに関する問題提起のように感じられた。

印象的な様々な映像モチーフが面白かった。冒頭は「ラ・ジュテ」(1962)を彷彿とさせる。多様な人々の白黒写真が重ねられ世界人類の現代状況を想像。テレビの白黒ニュースが報じる廃墟となったヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のたたずまいが広島の原爆ドームそっくりなのは発見。

二人が見つけた海辺のコテージは前の持ち主が本や博物の収集家だったようで、男は未来の人類の為に博物館として整理することに精を出し始める。自給自足の食糧確保は女が担うことになり林檎をかじりながら(創世記のイブの比喩)野ブタを捕獲する。ここで二人を世紀末のアダムとイブとして描くことが明かされるが、狩猟時代は男が担った狩りの役割を女が担わされていることがポイント。

十字をあしらった黒い制服の軍人&司祭の国家エージェントは、二人に「子孫を残す誓約書」へのサインをさせる。これは結婚制度への批評だと思われる。男は子作りを女に働きかけやたらに裸になるが、女はそれを拒み服を脱ごうともしない。やがて現れ男を誘惑するフランス女は国家の手先とも思えるが判然とせず、しかし結果的にこの女の登場が二人の運命を狂わせる。

救助の飛行船だと思われたのが実はペプシコーラの宣伝気球だったのは皮肉なユーモア。打ち上げられた巨大鯨は環境汚染の進捗を、骨になっていくのは時間の経過と死のイメージを表して秀逸。終盤に男が小屋で見つける大量の等身大プラスティック人形は絵面も面白く、男に子孫を残すことへの決意を促す描写であると同時に、出産と資本主義的大量生産を重ねた表現になっている。

※ネタバレ


最終的に子作りが果たされ女が妊娠したことがわかると、ずっと穏やかだった男の態度が豹変する。海辺で「俺が種を撒いた」と連呼しながらうずくまる女の周りを踊る男。女は自爆し二人は跡形もなく消滅する。


1969年のアイコンの一人となったヴィアゼムスキーが魅力的に撮られている。フェレーリ監督作の中で比べたら最も爽やか?な仕上がりで、個人的にも最も好みの一本だった。フェレーリ監督は日本ではあまり注目されておらず、本作も含めて日本語版DVD化が進んでいないが、再評価されるポテンシャルは充分にあるので早期実現を期待したい。

※コテージに飾られていた宇宙写真は、「2001年宇宙の旅」(1968)のスチール写真。
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