みかぽん

ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言のみかぽんのレビュー・感想・評価

4.0
ユダヤ人への弾圧、虐殺について、私は知らなかった、私は手を下していない、私は当時の時勢に流されるしかなかった、等々の言い訳っぽいインタビューを淡々と聴いているうちに、若干うんざり。しかも前日の夜更かしのツケもあってか、不本意ながら睡魔と闘い始める不謹慎な私であった(恥)。しかし中後半、当時を悔いて全てを語る元親衛隊のお爺さんと現代を生きる若者との白熱するやり取りを見るうちにスイッチが入り、そんな呆けた気持ちは速攻で吹っ飛んでしまった💦

覆面画像のまま、大上段からお年寄りの過去を糾弾しつつ、これ以上ドイツの恥を晒すな、と話す姿(日本で言うところの「いつまで恥を晒して謝り続けるつもりですか」の意?)はアンビバレントであり、私には容認し難い光景だった。
あなたは平気で責めるけど、当時の世界に放り込まれた時に、あなたが思う理想的行動を本当に取れるの?と思うと同時に(勿論、お爺さんはそんな言い返しはしない)「お爺さんの勇気を二重にもみ消してるのはあなたでは⁈」と、一気に眠さを吹っ飛ばして応戦。と同時に、私がもし当時のドイツ人だったら、、についても考え始めた。

ユダヤ人弾圧や虐殺を薄々知っていても、「嫌だ」「何て酷いことする」と思っても、自分への厄災を避け、居場所を守る行動を懸命に取り続けたのではないか。否、ともすればもっと最悪で、与えられた環境次第では、心の全てをナチス思想に捧げていたかも知れない。
そして終戦を迎え、あらゆるものを失った私は、裁かれないままでいる私とどう折り合っただろう、と悶々と考えてしまった。
そんな私を裁くのはとどのつまり、私自身でしかないのだろう、と結論。心の底でチリチリ燻る後悔や贖罪を、それこそ一生、抱えながら生きて行くしかないのだろうと。

例えば、それは卸したての洋服で着飾っても、いつも胸元の同じ場所に自分にしか見えない滲みが付いて回るような。あるいは最高に幸せを感じる瞬間に於いても、その高揚を条件反射のように抑止にかかる力を働かせてしまうような。勿論、私自身がそうありたいと望まなくても、無意識のうちにそれを架すような気がしてしまう。

戦争は、思いもしなかった自分を発動させて、その結果、後に続く人生にも想像すらしなかった深い影を落とし込ませる。そして、晴れない思いを心の中で反復させながら、恥じて語れず、語れば全てが自己弁護になると震え、敢えてそれを出来ないままに、私は殺人に加担したとの認識の元に恥の生涯を終えるのだろう。
そんな人生はまっぴらだし、だからこそ、前出の若者と対峙する老人の勇気に対し、彼を責める正義の言葉が薄っぺらな傲慢でしかなく、そんな真似など微塵も出来るはずがないと憤慨するのだ。

とはいえ、中には自身を美化し、過去の行為やヒトラーまでもを肯定し、今ある現実は戦勝国のポツダム会議の結末でしかない、と言い切った老人もいたりしたので、これには背筋が凍った(まぁ日本にも、全ては戦勝国の論理が塗り替えたのだ…と話し、戦前の日本回帰を目指す人々は今も当たり前にいますけどね😩😩。、)

今日は奇しくも終戦記念日。こうした日にこそ観て良かったし、観るべきドキュメンタリー。
みかぽん

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