geji

結婚式、10日前のgejiのレビュー・感想・評価

結婚式、10日前(2018年製作の映画)
3.8
めちゃくちゃ面白かった

「困難を笑い飛ばそう」というエンドロールの曲の歌詞がそのままテーマのような映画

ラシャーとラシャーの母、マアムーンとマアムーンの父の会話が象徴的だった

「家父長制」という言葉には回収しきれない複雑な様相がその会話に現れる。

ラシャーの母が娘とサーリムの結婚に同意したのは、「自分のようになって欲しくない」から
ラシャーの母の語りが、そのままイエメンの歴史を語る
内戦に次ぐ内戦で心が壊れてしまった父と、疲れ切った男に執着する母
母はそんな自身の姿を、2015年の内戦で職を失い憔悴したマアムーンと関係を続ける娘の将来に重ねる。
だからこそのサーリムとの結婚への同意であり、それは単に母が夫に「抑圧されている」からでも、「イスラーム的な」結婚のあり方のせいではない(結婚を判事が執り行っていることからも、近代法的な手続きであることが読み取れる)。

一見、家父長的な強制結婚に従って「娘を売った」ひどい母親に思われるが、母には母なりの思いがあっての行動だということが明かされる。母は夫に従うだけの存在では決してなく、主体性を持った存在として描かれ、時には夫に「娘に手を上げてみな 離婚してやるわ!」と啖呵を切る強さを持っている。

またマアムーンの父が彼に辛くあたるのも「俺のようになって欲しくない」からだと語られる。
マアムーンの父親に関しては妻に「お前が育て方を間違った!」という、日本の映画やドラマなどでもお決まりのセリフを言っていて、当たり前だが、彼らの家族のあり方が彼らの文化に特殊なのではないということがわかる。親近感を持ったシーンだった。

娘と母、息子と父という関係が対比に、また互いに重なり合っている。


「男らしさ」についてもよく考えられているように見受けられた。
マアルーンは最初ひとりで悩み事(主に金)を抱え込み、ラシャーに「君は心配しなくていい」と言う。しかし結局上手くいかず、苦境がラシャーや彼女の両親にバレる(主にワーリドが口を滑らせて笑)
そこでラシャーが指揮を取り物事を進めることで、いくつかのことがうまく行くようになる。「政府は君に学ぶべきだな」「女が世界を支配する」女の力を認めながら一緒に苦難を乗り越えるパートナーになっていく。
男が一人で頑張るのではなく、どちらかに寄りかかるのではなく。
そのようなオルタナティブな男性像、女性像、パートナー像を提示しているのだと思う
若いスタッフが中心となってこの映画が作られているということだったが、日本にいる私たちとも共通するような新しい価値観を作品にも持ち込んでいるように思う。

ワーリドは秘密を守れない困った奴だが、妹とサーリムの結婚に腹を立てて「強制結婚の方が間違ってる!俺がそれを正す」と言う。
ワーリドは、自分のために苦労をかけたくないと別れを選んだマアルーンに「男じゃない」と責める。
彼にとっての理想の男性像は、一人で抱え込んで恋人から逃げる男ではなく、恋人の力や周囲の人の力を頼りともに生きていくような男なのだ。
ワーリドのキャラクターは(笑いという意味はもちろん)、非常に面白いと思った。


ラシャーと友人サマルの関係もなかなか良い。男が当てにならないとき、心強いのはああいう女友達だろう。

マアムーンの祖母のもとにみんな集まってギュッとハグするシーンが良かった。
離婚した叔母 家族が生活の基本単位である社会で、離婚することが大きな疎外を生む
それでも帰ってくるのは「家」だという答えを映画は伝える。

マアルーンの母と祖母の心の広さがアデンの人々の人間性そのものとして象徴される。

アデン愛が強い映画だと思う

愛があれば許す



結婚式というハレの日をゴールに日数がカウントダウンされ大円満で終わるというのはありがちなラブストーリーでヒューマンドラマなのかもしれないが、内戦、お金、家がないこと、仕事がないこと、親との関係、女として/男として生きること、理想の結婚式像、個々の感情、いろんな要素を重層的に、時には歌の力を借りて描き切っているところがこの映画のおもしろさかもしれない

軽口の叩きあいやツッコミのテンポが絶妙で本当に笑えるところも良い
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