茜色に焼かれる
ルールにがんじがらめになって、ストレスや苛立ちを抱えてるであろう人たちが、それを別の場所で晴らすかのように、容赦なく別の誰かに当たっていき、世の中にあるさまざまなルールをしっかりと守る、正義感が強く、人としての優しさをも持つ人たちが、それらの(世の中にある)さまざまな理不尽を一身に受けていく。
犠牲になる人は、怒ることができずに全てを抱え込もうとする人でもあり、怒ることを諦めて何とか演技をしたり我慢をして生きることを決めた覚悟をした人でもあって…現実世界でも大抵はそうなんじゃないかと思う。
冒頭に映し出されるテロップが、物語が進みにつれて伏線として回収されていく展開が見事ながらも、それはイコール厳しい現実が広がることを意味し、見ていて辛い。
そんな厳しい境遇の中で生き続ける良子が放つ「まあ、頑張りましょ」にはいろんな想いがこもっているように感じ、そのひとことの重みや説得力が段違いにあった。
悪意に満ち溢れている悪い冗談ばかりが起きる世界で、その悪意を受け続けてもなお、怒ることなく受け止めて生き続ける人たち、生きざるを得ない人たちの現実と生き様、そして声なき声が詰まっており、それらに心揺さぶられながら、描かれる現実から自分はどう生きていきたいか、どんな社会を作っていきたいかを問われる。
搾取する側には絶対になりたくないし、搾取されたくもない。
でもそんなにうまく生きられないし、どうしたらよいかもわからない。
生きていく上で関わりたくない人とも関わりながら生きていかないといけないこともあって、そこから簡単に逃げられない現実もあって…そんな人たちが救われて欲しい願いがびしびしと伝わってきた。
そういう意味で感じたことが『すばらしき世界』と近しい。
このような人たちがもっと社会と断絶できて、悪意のない好きだと思える人たちだけで生きることができたらいいのにって思ってしまう社会は、やっぱりどう考えてもよくないに決まっている。
ルールは誰のために存在しているのか。
ルールは何のために存在しているのか。
根底の大事な部分が疎かになっているルールがたくさんあると思う。
ルールの不完全さがどんどん露わになっていきながらも、ルールがあってもこの状況の社会を見て、ルールがなくなったときを想像すると怖すぎるから、結局ルールを守って生きるしかないのが現実でもある。そんな不条理な世界。
なぜ人間は誰かを貶めることをしてしまうのか、明らかに嫌な思いのすることをしてしまうのか、誰かの人生を普通に壊せてしまうのか。
本当に理由が全然わからないほどに、自分の関わっている世界とは無縁なことが次々に起こっていき、だからこそなぜこんなことになってしまうのかが、自分の今までの人生の中だけで考えられる範疇を超えていることもあった。
でもそんな一端を知り、感化されたり考えられたりするのも、映画に触れるからこそできること。
基本的に厳しい現実が描かれながらも、誰かと関わろうとするから、それが生きる希望にも理由にもなっている点にも同時に触れられていて、それは忘れてはならないもう一つの現実、はたまた希望としてある。
誰かと関わると裏切られたと感じることもあるけど、関わっていく人の中には、かけがえのない存在になる人もいて、それは誰かと関わることを諦めないと出会うことができない。
そんな存在がいることは、それだけでも羨ましく思えたりして、彼女たちに対しての少しばかりの救いでもあるように感じた。
この世界が…いやどの世界も『町田くんの世界』みたいな優しさに溢れる世界になったらいいのに。
田中親子の関係、2人とケイの関係、後半において中村のとる行動が素晴らしくて、そしてあの状況でも前を向いて覚悟を持って生きていこうとするそれぞれの姿に心打たれて泣いた。
P.S.
尾野真千子さん、片山友希さん、永瀬正敏さんがとてもよかった。
オダギリジョーさんはどんな役で出ていても、その役がオダギリジョーさんであることに納得させられちゃうのやっぱり凄い!
『すばらしき世界』や『そこのみにて光輝く』を観たときと、近しい感情や気持ちになったけど、それぞれに違うくて、それぞれに素晴らしい作品。