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ボーはおそれているのtotsu9pieroのネタバレレビュー・内容・結末

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

愛を知らない毒親とその息子。
●序盤、自宅の場面。自宅という安全圏を離れて向かいのコンビニに駆け出すだけでもさながら命懸け。ボーから見た世界はこんな様相なのかもしれない。一歩家を出れば、周りには何を考えてるかもわからない人々。人の命を奪う殺人鬼もいるし、一目散に襲い掛かろうとする物乞いもいる。隙あらば自分の領域を侵してくるような危険性がある。街の喧騒(おそらく安全圏外のものごとや人々)がうるさすぎて常に何かが頭の近くで騒いでいるような感覚(ここが映画館で聴くと本当に騒がしくて、まさに眠りたくても眠れない夜の胸がどこかざわつく感覚を与えてくれてとても良かった)になって夜も眠れないし、少しの間眠れても置き手紙でちょっかいを出してくる。
●外科医ロジャーの家にお邪魔する場面。精神を病んだ英雄は、母親の防衛システムのようなものなのか。ボーが何かに背くようなそぶりがあれば画面に映り込む。夫婦は協力的なようで母の埋葬のための実家への到着を遅らせるための障壁。娘は言わずもがな障壁。この時点で、なんだかまるで不思議の国のアリス+ピノキオのようだなと思っていた。言われるがままにどうにか進んでいくが、その雲行きはどこか怪しくて悪いことが起こる気がしてならない。今思えばだが、ボーの名前の刺繍入りの寝巻きは仕組まれていたのか…。
●森の孤児達の集まり。そこで観る演劇は途中からボーの妄想に変わる。ボーが思い描く理想なんだろうか。子を育み、家族に囲まれる。最後に子供をどうやって作るのかで幻想が醒めるが、父の幻(?実は本物?)まででてくる。家族の愛、繋がりを潜在的にボーが求めているのかもしれない。
●母の家。明かされる母の死、これまでの追跡。これまででなんとなく目にしてきた人や広告や製品、風景が次々と出てきて…ここは少し他の場面と比べて雰囲気が違って見えた。ここからもう現実味もゼロに近くなってきた。母という人物より母という強大な概念に縛り付けられているボー。屋根裏の父親とされるものに切り掛かる英雄が出てきたところでもう現実なのか幻想なのか本当にわからなくなってきた。(一瞬映った、屋根裏部屋で手を挙げてこちらを呼んでいるような男性はホアキン・フェニックス?記憶の中で前に閉じ込められた子供?)
●裁判。きっと完全にボーの幻想?(怒られるのが怖くて?なのか)思うように動けず、叫んでも周りは誰も助けてくれない。母どころか周りにもボーの弁明は何一つ届かない。毒親。最終的にボーは自らの手で命を絶ってしまったのだろうか。精神的に追い込まれてしまったのか。母親という強大な檻、壁に囲われ囚われてしまい、どこにも行けない。「囚われ」がひしひしと伝わるラストの裁判。家という安全圏の囲いを飛び出して命懸けで母の元へ向かったはずなのに、最終的には母の囲いに囚われ、母が思うボーの不道理を追及される。観終わった後も呆気に取られてしまった。

●主役のホアキン・フェニックス。あの歳で子どものような役ができるのが素晴らしい。幼気で親や他人の意見に委ねてしまう危うさがあるが、ホアキン独特の悲壮感や悲哀に満ちた表情や眼差しもある。相容れないような性質だが、「ボー」という役への絶対的な説得力に納得させられてしまう。(やはり喜劇よりも悲劇が似合っている…)ボーが苦しんでいたり泣き叫んでいるだけでも画になってしまう。
●母親役のパティ・ルポーン。叱る、怒鳴る、話すだけで観ているこちらの余裕までなくなってきそうな危機迫るまくしたて、有無を言わさない高圧さが秀逸。今作最大の壁。通話した時や悲報を聞いた時、ボーに喜びとも恐れとも悲しみともとれない表情をさせた母はまさにこれ。ボーに負けず劣らずの怪演、素晴らしかった。

全体としては破茶滅茶に振り回されるが、ボーと母という大筋は逸れていない。観終わった後も根拠のわからない余韻が冷めないものだった。なぜか映像や音響が体験のようなものとして焼きついて離れない。リアル悪夢体験。
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