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ボーはおそれているのしののレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
3.7
ある意味、これまでで一番シンプルにアリ・アスターの主題を語っている作品だと思う。「無償の愛」なんて幻想に囚われすぎるとこうなるぞということ。意外と親切設計だし、徹底してブラックコメディだしで、あまり嫌な気持ちにはならず3時間をそこそこ楽しめた。長いは長いけど。

冒頭のカウンセリングで語られる「共存する気持ち」がキーワードだと思う。好きと嫌いは普通に共存するはずなのに、子だから親を愛さねば(逆も然り)という役割意識に囚われた結果、親子以前に人と人であるという前提を忘れ、互いに人として向き合えなくなる。前2作でも一貫して描かれていたテーマだ。

今回、主人公が“中身が子どものまま大人になってしまった中年男性”であるというのが、本作の「笑えるけど笑えない」トーンに寄与している。幼年期からの母親の支配により、彼は常に自分に非はないかと怯える不安症となり、実質的に去勢されている。そして女神の偶像をいつまでも大事に握りしめているのだ。4部構成のうち、とくに最初のパートはこの不安症を可視化することに重点が置かれている。

続いての静養パートが実は意義深い。ここでは主人公が自身の過去を思い出したり、被支配への疑念を覚えていくのだが、同時に彼の主体のなさがいかに家庭を崩壊させ得るかをこの時点で示唆している。続く森のパートでは、自身に主体性があったらこうなっていたかも……のifストーリーが語られるが、ここにも現実における支配や強迫観念が侵入してくる。正直いってこのパートが一番長く感じたが、現実と虚構、自己と他者、観客とボーの境界を揺るがしていく機能はあったと思う。

そして最後のパートだが、ここがかなり直接的な解答編になっていて親切だと感じた。母親もまた“無償の愛”幻想に囚われており、結果的に息子を支配しトラウマ(引き続き「屋根裏」への拘りがすごい)を植え付ける。結果、ボーは主体性を剥奪され、その主体性のなさが母親を苛立たせる悪循環が構築されている。従ってラストも、まあそうなるしかないよなというオチで非常に納得感があった。結局、ボーもボーであの結末を静かに受け入れるのだから。

言うまでもなく、このラストはファーストシーンと色々な意味で円環を成しているが、今回はそこに運命論というより笑いと悲哀と切実さを感じるのが良かった。前2作のような「こうなるしかなかった」話というニュアンスも勿論あるのだが、本作は徹底してボーの主観で語っているのが、これまでの「ドールハウスを外から眺める視点」とは大きく異なる点だろう。つまり、彼の母親へのおそれにより誇張されている部分と、マジでコントロールされている部分とが混在しているのだ。

これにより、自分は『ミッドサマー』のときのような「“そうなる運命”の話を露悪で延々と見せられてもつまらないよ」ということにはならなかった。むしろ、その運命が強固になっていくとともに、どこかでこの運命から脱せた瞬間はあったのではないか? という悲哀も強まる作りになっていたと思う。権威を築いたので3時間の長尺で好き勝手やらせてもらった結果……という作品としては(どちらもキャリアの初期から構想していたという点も含めて)『バビロン』と似たポジションの作品だが、あちらがより不遜さが出てしまったのに対して、本作はよりパーソナルで切実になった印象。

とはいえ、長いは長い。体感としては2時間半くらいだった。最初のアパートのパートが一番面白いのが辛いところではないか。静養パートも森パートもメリハリの付け方としては良かったが、もっと短くて良かった。しかし、『ヘレディタリー/継承』で映画自体を呪術行為として、『ミッドサマー』で露悪的なジャンル映画としてセルフセラピーを行った監督が、メタな諦観でも表層的な露悪でもなく、パーソナルな笑いと悲哀と切実の体験としてトラウマを提示したことに感慨を覚えた。

※感想ラジオ
『ボーはおそれている』は本当に問題作か?人によっては元気の出るブラックコメディ【ネタバレ感想】 https://youtu.be/9B-0qtGPSKA?si=y2xmnyH1qjMe_xTZ
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