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アンラッキー・セックス またはイカれたポルノのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.5
 ルーマニアの首都ブカレストにある名門校で教師を務めるエミ(カティア・パスカリウ)は、夫との愛の営みを撮影したプライベートセックス映像が修理屋によってインターネットに流され、生徒や親の目に触れてしまう。本人にとっては大変お気の毒な話だが、たったこれだけの事案で106分持たせようとする根性も凄い。日本以外はモザイクなんかないから、動物園の動物たちとほとんど一緒の状態だ。インターネットに一度拡散されたものは、100%消すことなど出来ない。デリートしようがゴミ箱に入れようが別の場所に保存された映像は再びアップロードされ、本人たちの意にかかわらず世界に向けて発信され続ける。にも拘らず、監督は露骨な映像描写を隠す。幾らバッド・テイストな映画とはいえ、フレームのほぼ99%が趣味の悪い蛍光色とフォントで埋め尽くされるのは流石にどうかと思う。別に洋ピンが観たいわけでなく、これならモザイクで隠した方が映画としての体裁は保たれるような気もするが、そもそもルーマニアにはモザイクで隠すという概念そのものがないようだ。自己検閲版というお題目で全てが許されるわけではないと思うが、第71 回ベルリン国際映画祭金熊賞に輝いたというのだから恐れ入る。これに競り負けた映画群の製作者たちはどんな思いで見つめたのだろうか?

 映画そのものは3部仕立てだが、実は一番気合の入っているのは第2部だと思う。第1部はまんま『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』で、エミが右に左に歩く姿がひたすらモンタージュされる。そのうちダルデンヌ兄弟の映画にも見えて来る。方々を右往左往するヒロインの焦燥をひたすら追うカメラは、交通量の多い道路を横断するエミの姿を克明に描く。それ自体が極めてダルデンヌ的だ。しかし彼女が求めているのは労働者の権利でも人間としての尊厳でも国民に与えられる最低限の福祉でもなく、どうやったら愛の営み映像がなかったことになるかだけである。ここに監督の強烈なブラック・ユーモアは滲む。3部の露悪的なディスカッションの醜悪さは置いておくとして問題は監督が2部で何をやったのかに尽きる。恣意的に作られたラドゥ・ジューデに対する100の質問またはAtoZは、映画が映像で述べることの出来る範囲を易々と越える。その時点で映画は、TVやYOUTUBEのような別の映像媒体に搦め取られて行く。言葉だけ先走る監督の言説は、映像にはほとんど意味が付与されない。ここに今作の致命的な欠陥は在る。
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