空海花

そして俺は、ここにいない。の空海花のレビュー・感想・評価

3.6
アカデミー賞国際長編映画部門メキシコ出品作。
ショートリストに残っていた時に気になっていた作品。
フェルナンド・フリアス・デ・ラ・パーラ監督。

音楽と踊りが物語のベースにありそうなのに、無音で始まり驚いた。
冒頭こんな説明が入る。
これがなかったら理解できなかったであろう私には重要な手掛かりだった。

〈メキシコの北東部主にモンテレイで
ある反体制文化運動が栄えた
クンビアという音楽を好むことが特徴の
“コロンビアカルチャー”である
“テルコ”とは態度を改めることに抵抗する頑固者を意味する〉

かなり異国情緒に溢れる作品。
乾いた景色と、暗すぎる街。
ネオン色のライトさえ薄暗い。
丘の上から見渡す広大な土地には
都市部は明るくやたら規則的な灯りと
(これは隣国アメリカかもしれない)
半分は対比的に
仄暗い灯りがぽつりぽつりとあるだけ。

時間は時系列ではなく
その前とその後を映す。
その中で時折差し込まれたり、
前のことが後で説明されたりするので
文化をよく知らないのが少しキツい。
虚飾を感じない自然さが
淡々とした印象を受けるから
この構成は成功していると思う。

メキシコ、モンテレイ。
主人公ウリセスは17歳で、
若者グループ“テルコス”のリーダーだった。
場所柄のイメージ通り
ギャングやグループがひしめいた街で
地元ギャングと行き違いが生じ、
家族も皆、街に居られなくなる。
彼が居ると家族が危ないからと言って
母からも国を追い出されてしまう。

メキシコが映画に出て来る度に
とにかく怖い場所としてインプットされてしまう。
学校のすぐそばで銃撃戦があり
生徒に頭を伏せさせ、
子供達を落ち着かせるためか歌を歌い出す教師。
初めてのことではないということか。

アメリカに来た彼は
日雇い労働者のグループと暮らしたり
中国系アメリカ人の店で働いたり
その所有者の孫の少女リンと過ごしたりする。
ファーストフード店の砂糖をトレーに撒いて
チームの説明をするところが印象的🌟
グシャグシャでわかりづらい(笑)
のが、また良かった。
開放感のあるアメリカで
打ち解けていくかに見えたが
スペイン語しか話せない彼には
言葉の壁がのしかかる。
少女は辞書を買い与えて、彼と話したがるが、ウリセスは疲れ果ててしまう。


続きもストーリーに触れます。
ネタバレが気になる方は
この辺りでお控えください🙇‍♀




彼の慰めは、別れ際に仲間に渡された
MP3端末?だけだ。
大好きな音楽と仲間との写真。
彼は子供の頃から踊りが上手で
仲間達とパーティーやあるいは日常で
音楽を聴き、踊る毎日だった。
この音楽・ダンスが独特で
ダンスはクンビアというらしい。
衣装も民族衣装のような派手な色と形
髪型もすごい。
カウンターカルチャーの中に居た彼は
働いたことさえなかった。
コロンビア人の女性とも出会うのだが
ウリセスが聴くのはスローテンポでかけるコロンビアミュージックで
本国コロンビアの音楽とはまた違い、
コロンビア人にも受け入れてもらえない。
日雇い労働者のグループを出たのも
音楽が発端だったのだと思い至る。
「黒人ぶりやがって」
という台詞があった。
音楽さえも壁になるのだ。

絶望というよりも、
ルーツを無くした喪失感に力が抜ける。
髪を切るウリセス。
この地に彼のルーツを知る者は居ない。
それをなくしてどうやって
自分はここに居ると言えよう。

ウリセスは時に俯瞰と真下から
店のカウンターを仕切りにして
彼と他人、左右に分割される。
汚れた戸枠越しや
フィルターがかかるような濁った窓枠。
カメラワークも凝っている。
そこから覗く、ウリセスを演じるフアン・ダニエル・ガルシア君が美しい。
踊る姿が1番美しい。

結局、彼は路上で寝ていたところを逮捕され、
強制送還で地元に戻ることになる。
頑なさは異国で打ち砕かれ
穏やかな表情でいる彼を見て、
無性に悲しみが込み上げるのはなぜだろう。

エンドロールの心あたたまる撮影風景と
流れるラップ?のような音楽で
物語が補完された気になった。
「永遠のテルコス🌟」


2021レビュー#068
2021鑑賞No.111
空海花

空海花