ネノメタル

アリスの住人のネノメタルのネタバレレビュー・内容・結末

アリスの住人(2021年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

🃏「物語とは終わるものではなく、自らの手で終わらせる強さを持つ事」事ではないか?」本作はそんなことをふと思いながら鑑賞した現代版「不思議の国のアリス」である。


♧ Overview
主人公、港つぐみ(樫本琳花)は幼少時代に父親から性的虐待を受け続け、それを実の母親にも言えず18歳になる今がいままでずっと心の奥底にトラウマ級の傷跡を抱えて生きてきた。
 そんな苦悩を発端とするトラウマから目を逸らすかのように、つぐみはSNSなどで出会った愛と欲望に飢えた男達とカラオケボックス内で援助交際に走り、そこで汚れたお金を手に入れて生きていく毎日。
彼女はそんな地獄のような心と身体を傷つける日々を「終わることのない物語」と称している。
この物語はいつ、終わりを告げるのだろうか?
そして、彼女が唯一の心の拠り所にしている場所は、母のいる家庭ではなく「ファミリーホーム」である。
そのファミリーホームとには、このヘヴィーな状況下で育ってきたつぐみ以外にも、アル中の父からのDVから逃れてるようにファミリーホームに飛び込んできた白戸多恵(伴優香)だとか、母親から育児放棄同然の扱いを受け、その愛に飢えた寂しさを刻印するかのように腕にリストカットし続ける国枝莉子(天白奏音)などなど、彼女らの唯一の居場所が養育環境にない子供達の面倒を期限付きで見るホームステイ形式の家庭施設ーそれが本作の主な舞台(ファミリーホーム)である。

♤ Impression
…とここまで書けば誰もが幼児虐待をテーマにして家族の在り方に一つの問題提起をした上西雄大監督『ひとくず』のようなDVによる子供の胸や腕に残る傷跡などのリアルな描写やそこで起こった事実を色濃く写像することによって「本当の人の繋がりとは何か」というテーマを逆説的に浮き彫りにするようなシリアスな物語展開を想像するかもしれないが、本作に関しては不思議とそういう印象はなく鑑賞後にはむしろさっぱりとした海風のような爽やかな印象すら受けるのが特徴だ。
正確には本作でもそうしたリストカットや性的なシーンなどの生々しい描写がないわけではないけれど、極めて示唆的かつ最小限度に抑えてあるし、むしろ、ここのファミリーホームを仕切っている加茂勝之・朋恵夫婦(みやたに・しゅはまはるみ)、ファミリーホームの補助員・池口省吾(久場寿幸)を含め、実質的に血が繋がっていないにも関わらず家族の絆を感じさせる、心にじわじわと温かな余韻が残る印象すらある。
というのも、つぐみらの世話をするこの加茂夫婦が、彼女らに干渉をしすぎず、勿論突き放しもしすぎない、このニュートラルな関係が心地良くてそれが本作をそれほど問題の軸をシリアスにしすぎない一因として貢献しているようにも思う。
 そしてそうした彼らの温かな視線は主題歌『群集の中の猫』(歌;レイラーニ(中嶋晃子) 、尾崎豊のカバー)の歌詞さながら反映しているようだ。
 以下、一部引用する事でそれを検証しよう。

群集に紛れ込んだ子猫の様に
傷ついて路頭 さまよい続けているなら
ねえここへおいでよ 笑顔を僕が守ってあげるから
突然振り出した雨から 君をつつむ時
僕のせいで君が泣くこともあるだろう

僕の胸で泣いてよ
何もかも わかちあって行きたいから

やさしく肩を 抱き寄せよう
雨に街が輝いて見えるまで
やさしく肩を 抱き寄せよう

本歌詞の中での【雨に濡れた群集に紛れ込んだ子猫】とは紛れもなくファミリーホームにいるつぐみ達のことを示唆している。
そして【君のために泣くこともあって、君が泣き止むまでに肩を抱き寄せてくれる】存在こそがここの加茂夫婦であるように思えてならない。
 しかし、この曲は、この物語の為に書き下ろした訳ではなく、伝説の日本のロックシンガー尾崎豊による『回帰線』(1985)というオリジナル・アルバムの収録曲のカバー。こうしてだから37年以上もの時を越えて映画本編とシンクロしているという偶然にしてはでき過ぎた事実に驚きを隠せない。
 そうそう「シンクロ」と言えばそのタイトルでタイトルに「アリス」と付したあのLewis Carroll(ルイス・キャロル)のあの有名すぎる絵本作品『不思議の国のアリス』とのシンクロニシティも忘れてはならない。
勿論ここでの詳細は省くがこの『不思議の国のアリス』では、(因みに本編でも不思議の国のアリス症候群としての言葉でも出てくるように)アリスの体が大きくなったり小さくなったりなどなど様々な不思議な体験をして、最終的にその世界から目覚める、といういわゆる夢オチな訳だけど、ここで重要なのはアリスのお姉さんが、アリスが夢の中の世界から現実の世界へと連れ戻してくれる役割を担っている点。
 正にこの物語を本作に準えるならばアリスがつぐみとするならば彼女が地獄のような心と身体を傷つける地獄のような日々は「終わることのない物語」であると同時にアリス同様「迷い込んだNightmare(悪夢)」であり、そんな悪夢から目覚めさせてくれた存在である、ここでのアリスの姉的な存在は加茂夫婦ではなく、ある日偶然出くわし、後に恋人関係にまで発展する前野賢治(淡梨)というごく普通の青年ではないかと思う。
ただ『不思議の国のアリス』と違う点はその終わりなき物語に終止符を打つのは「勝手に終わってくれる」ような夢オチではなく自らの手で物語を終わらせ強さを持つようになる事である。
それが如実になるのは年下の妹のような国枝莉子の自傷行為を目にして「そんなことしちゃダメだよ。」と強く諭す点であり、そしてまだ見ぬ海の景色をようやく見にいく決心がついた点の計2点。あとファミリーホームの仲間関連で言えば、白戸多恵がハイボールを飲むシーンであるとか、ラストのラストシーンで国枝莉子がニッコリと自転車に乗って手を振るシーンとかにも成長のニュアンスは感じたな。
もうすぐファミリーホームで過ごせる年齢である18歳を迎えてそこから巣立っていくべく、一歩成長した彼女の姿が示唆されるように思う。
こうした相違はあるが『不思議の国のアリス』も『アリスの住人』もいずれも少女から大人への前進の物語であるという意味で共通していると考えている。

♢Final Remarks
そして最後にこうして『アリスの住人 』鑑賞後丸3日ほど経過して、まず本パンフレットの表紙をしみじみと眺めてしまう位物凄く味わい深いことに気づく。
これは別に内容云々を示唆してる訳でもましてやネタバレでもなく個人の解釈によって色んな解釈が成り立つアートワークである。
今思えば人によっては猫に見えるという座敷童子(合田純奈)が物語のキーを握ってたりするのかな?など、本編鑑賞中彼女の存在に関して正直不確定かつ謎でもあったからなんとなくそれを知る術は欲しかったかも。
あと最後の最後に、あの上田慎一郎監督『スペシャルアクターズ』を鑑賞した者ならムスビルという怪しさ極まりないあの新興宗教(というより詐欺団体)の教祖様をほぼ台詞なく演じ切ったあの淡梨氏が今回普通の好青年を演じているのもかなり驚愕でもあっただろう、いやこれぐらいインパクト強かったからねあの大和田多磨瑠教祖は。
あ、あとあとこれ自分だけだと思うんだけど、これまで何度も観た上西監督「西成ゴローの四億円」で闇金姉妹が口にベタベタつけて食ってたインパクトが頭残ってて本作でもファミリーホームで皆が食べてたあの麺「ジャージャー麺」かと思ったけど、澤監督に直接お聞きしたら実は「やきそば」らしい。
それらのバイアス無くした今、本作をもう一度観てファミリーホームの温かな空気に触れてみたい(なんちゅうキッカケや笑)。
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