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世界で一番しあわせな食堂のnetfilmsのレビュー・感想・評価

世界で一番しあわせな食堂(2019年製作の映画)
4.0
 自然豊かな場所へと旅人を乗せてバスがやって来る。この地に降り立った親子は少し風景に目をやると、目の前にある食堂に入る。厳しい顔つきを崩さない父親に対し、少し不安げな表情を浮かべる息子の姿がひと際印象的だ。食堂に入ると父親はある人を知らないかと店の女主人に話しかける。映画における旅の起点には常に人生の再生や再起の主題が潜む。勝手知ったる故郷から「ここではないどこか」へ。今作ではそこにある人へ感謝の伝える旅でやって来た父子が主人公だ。弟アキ・カウリスマキの映画では、再起を図る主人公がフィンランドの中では比較的暖かく過ごしやすい南(主に首都のヘルシンキ)を目指して車や列車でひたすら南下したが、今作は舞台をフィンランド最北端のラップランドに設定する。スウェーデンやノルウェー、ロシアと国境を接するバルト海に面した街の冬は相当寒いが、沈まない太陽が見られる自然豊かで風光明媚な観光都市である。舞台となる食堂もアキ・カウリスマキの『浮雲』のような長い歴史を誇る元名レストランではなく、家庭料理を提供するごく普通のレストランで、大衆食堂がぴったりな雰囲気のお店だ。店を仕切るのはシルカ(アンナ=マイヤ・トゥオッコ)という女性で、老人だらけの店をたった一人で切り盛りする。

 物語は最初こそ冗長で退屈にも思えたが、父親チェン(チュー・パック・ホング)が包丁を握ったあたりから監督のやりたかったことと観客とのピントが徐々に合って来る。そこからはクライマックスまで怒涛の如く流れて行くリズムが心地良かった。私には途中から60年代の松竹蒲田調の人情喜劇か降旗康男の映画にしか思えず、妙な親近感を覚えた。そう思うとチェンの姿が途中から高倉健にしか見えなくなるから不思議だ。おそらくアメリカ人には西部劇を思い浮かべた人も少なくないはずだ。それは極限までエピソードを削った物語のメロドラマとしてのシンプルさもさることながら、放浪者としての兄ミカ・カウリスマキのよそ者=アウトローとしての矜持だろう。英語とフィンランド語を織り交ぜた物語は然しながら共通言語としての映画言語をしっかりと有する。最初こそよそ者のチェン父子を斜めに見ていた地元の人々が、彼が腕を振るった料理の温かさに思わず胃袋を掴まれる。医食同源という言葉もあるが、中華料理の健康的で人間の理に叶ったメニューが村人たちの心を温め、しばらく食べているうちに健康的にもなる。ジャガイモとウィンナーだけのフィンランド料理がもちろんダメとは言っていないが、世界中の料理を食べ歩いてきた兄ミカの経験と説得力が光る名場面だ。老人の生活まで面倒見てくれる福祉大国のフィンランドにとって、最も解決すべき問題は普段の食なのかもしれない。

 最初は心を閉ざしていた少年がフィンランドの自然の中で少しずつ立ち直る姿が印象的だ。ネタバレになってしまうので皆まで言えないが、父子が抱えた問題もまた当たり前のようにシンプルだが、それでいて複雑な問題だ。小高い山で爆竹を焚く父子の前に、白い煙の向こうからシルカが立ち現れる場面の筆舌に尽くしがたい美しさ。店の常連おじちゃん達(ベサ=マッティ・ロイリ、カリ・バーナネン)に見せるシルカの肝っ玉母さんぶりが後半の森の中のダンスホールの場面では180度変わり、女性としての繊細さ、可愛さに満ちている。あの黄色のワンピース姿が何ともいじらしい。それと共にジプシー音楽の中で力強く故郷の歌を歌うチェンの凛々しい父としての姿。よそ者を排除しようとする昨今の雰囲気にも安易に同調しない姿勢は、カウリスマキ兄弟に共通する。コロナの状況で現在は海外旅行は制限されているが、映画を観て思わずフィンランドに行きたくなった。夏のオーロラの下でうたた寝したくなり、サウナと湖の往復がしたくなったし、何よりこの小さな食堂に行きたくなった。観られる範囲で観た作品の中では、ひょっとしたらカウリスマキ兄弟の兄ミカの最高傑作ではないか。単純明快だが、肩の力が抜けた良い映画だ。
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