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ドライブ・マイ・カーのチェックメイトのレビュー・感想・評価

ドライブ・マイ・カー(2021年製作の映画)
3.2
昨日米国アカデミー賞国際長編映画賞受賞したがそれ以外の数々の受賞がその評価の高さを物語っていて素晴らしいことだと思う。

公開当初ざっくりのあらすじだけ知って興味を持てず見てなかったが「偶然と想像」を見て引っかかりを感じそれを払拭すべく鑑賞。

はっきり言って「偶然」と同じくあまり自分には響かなかった。
すんなり心に落ちないのだ。
何がそれほどに評価されているのか。
背景である広島の風景は良かった。
この風景、クルマが流れる風景、主人公の赤のサーブ、家福とみさきの喫煙などはこの映画には欠かせないビジュアルとして存在しているのはわかる。
クルマが例えばハリウッド映画でエコ意識ある中流な人々を象徴的に表すのに彼等の自家用車としてよく使われるプリウスなら成立しないだろう。
そういう画面上のアーティスティックな要素はある。
しかし美しいその風景描写や、凝った設定の劇中劇がやや冗長で退屈する。
みさきのタバコの吸い方もなんかさまになってなくてしっくりこない。
女性がタバコを吸っているさまを今時あまり見かけないから違和感感じるのだろうか。

多言語多国籍の舞台劇は、主人公家福の心情とどう関わるのか。そこで紡がれる言葉にどう意味を持たせているのか考えたりしてやや疲れてしまった。

彼の亡き妻への後悔の変化はかなり終盤の会話に影響されているようにしか見えずそれまでの描写があまり意味があるようには見えなかった。

役者の高槻と家福の妻本人を知らないドライバーみさきまで、音が家福を深く愛していたと結論づけ家福を慰める。
その設定と会話に違和感ある。

家福に間接的に浮気の認知を聞かされ家福の知らなかった事実を語る高槻。
浮気をして(いやしたからか)音を理解しているかのように語る。ここの演技は目を見張るものがあるが、高槻も音も人物像がなんか理解できず。
そこは重要ではないのか。或いは謎としてあえて語らずか。

みさきの告白が家福の心を解放していくようだが、抑揚なく語る言葉が何か語りにくい(そうではないのか)内容なのに他人から聞いた話しをただ伝えるような人ごとな物言いがどこかリアリティがない。本心のように聞こえないし感じないのだ(自分が鈍感なのかも)。
等々引っかかるところが多くてモヤモヤが多かった。

先日キネマ旬報作品第一位というのを雑誌で知った。
う~ん本当にそうなのかという印象。
受賞ということはざっくり言えば最大公約数的に評価(感動)されていることだと思うけれど。

しかし鑑賞後にたまたま本作関連として本作プロデューサーと監督ではない共同脚本家の二人に取材した新聞記事を読み少し参考になった。村上文学の映像化ということに腐心して制作したという。ロケーションやら何やら。
たしかに文学的といえば文学的な余白がある。

家福以外の妻、高槻、みさきいずれも謎というか掴みきれない部分が多くストーリーも展開というほどの展開もない。
そういう従来とは違ったドラマチックでないところが何か考える(想像する)余地を生んでるのではないかと推察する。

米国アカデミー賞発表当日の昨日も新聞の記事で知ったが米国では今も独立系映画館での上映がじわじわと上映館数や観客数を伸ばしているという。
静かで退屈で(失礼)内向きなストーリーだけれど海外でもわかる人にはわかるということみたいだ。
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