aeu

セブンのaeuのネタバレレビュー・内容・結末

セブン(1995年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます


ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンのバディものという時点で既に惹かれてしまう。

「ラストが衝撃的」と言われている点については、そうなのかなあ... くらいに思い掛けたが、これがおよそ25年も前の作品である事を思い出すと、なんて衝撃的なバッドエンドだろうか。
この後味の悪さは、もう、ね。

「まだ全部終わってない。このすべてが終われば、その結末は、人には理解しにくいが、認めざるを得なくなる。」
というジョン・ドウの台詞が、この『セブン』という作品そのものへの批評をも示唆している点も粋だ。

ラスト前の車の中で挑発されて怒るミルズを見て「勝った」と言わんばかりのジョンの嬉しそうな顔が本当に不気味だった。

また、ラストで撃ってしまった後の、あのミルズの絶妙な表情。自身の経験上、あれは真面目で罪など犯した事のない人間が“やってしまった”時のリアルだと思う。あの表情を出せるブラッド・ピットには脱帽だ。



しかもよくよくじっくり観察するように映画を観ると、伏線や台詞の回収がこれでもかというほど事細かくラストまで抜かりないように感じる。

■「依頼人はあと2人死体を隠してる」という言葉の意味するところ。

■一見何の罪もないトレーシーとお腹の子どもを殺めた真意。
ミルズの「憤怒」の罪を誘発する目的のみだったのか、それとも生贄や贖罪の意味もあったのか、トレーシーに本当に罪はなかったのか。

■「今日の一件で今後の予定を変えることになった」という言葉の前と後で実際のところどんな変更があったのか。

■実は『八つの枢要罪』も関係しているのではないか。

■冒頭でサマセットがミルズに言った「7日間はおとなしく見てるだけでいい」この通りにしていたらどうなっただろうか、トレーシーは助かったのだろうかとか。

■そもそもあの箱の中身は本当にトレーシーの生首だったんだろうか。

■言葉でこそ「銃をよこせ」などと言っているけれど、サマセットは本気でミルズを止めようとしていたんだろうか。

■ここまで来ると初出勤の日にミルズ夫妻の会話に「セルピコ刑事」の名が出てくる事さえも、何かを暗示しているような気がしてしまう。(映画『セルピコ』は未鑑賞だけど...)


Filmarksの仕様に甘えて長々思いのまま綴ってしまったが、こんなふうに作品を観終えたあとに、こんなにもあれこれ調べて考察させられた映画は私史上初めての事。
また、月日を開けずにその場ですぐに丸々1本再鑑賞をした作品も恐らく初めて。

この作品は観たものに考える余地を与えすぎる。それが尚更にこの作品への「胸糞感」「観たあとのモヤモヤ感」を増加させている。
もしそれも思惑なのだとしたらフィンチャー監督には頭が上がらない。

しかしながら私に旧約聖書の教養や知識がもっとあれば、きっともっと作品は面白く感じたと思う。
aeu

aeu