しの

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースのしののレビュー・感想・評価

3.6
誇張じゃなく本当に映画のミッドポイントくらいからずっと頭が痛かった。情報量が多いというか画がチカチカして忙しすぎて。しかし140分もあって、正直言って物語構成もあまりスマートじゃないのにここまで満腹感があるのは、この強迫観念的とすらいっていいほどのビジュアルのお陰だろう。とんでもないことをやっているのは間違いない。

前作の動くアメコミ表現、および異なる画調の共存表現はアニメ史を変えるほどのインパクトだったが、今回はそこを更に推し進めただけでなく、カット毎のクオリティがコンセプトアートというかポップアートの域に達していると思う。何気ない会話シーンすら美しい。

その美しさは初っ端から感じた。今回はグウェンがもう一人の主人公になっているが、彼女のバースは水彩画的な画調で統一されており、ドラマによってその彩度や明暗や抽象度が変化していく。この冒頭からして前作と全然変えてきたなと思ったし、この「世界の描き方自体が変わる」バース表現は終盤の展開にも活きてくる。

続編の作りとしても手堅い。スパイダーマンという「物語」を自分のものにするまでを描いた前作に対し、その「物語」すら運命づけられたものだったら? という発展のさせ方は『マトリックス』→『マトリックス リローデッド』のようだ。前作で築いた「孤独なのは君だけじゃない」という絆こそが、今回はある意味仇になるのだ。

この観点から言うと、スパイダー・ソサエティの描き方がうまいと思う。そこでは、孤独な人々(ある種自分の鏡像)が集まって社会を形成している。見た目は豊かだし、そこに加わりたくなるのも分かるが、それって結局傷を舐め合っているだけというか、むしろ閉じこもってる状態なのでは? とも思えるのだ。大切な人を喪う瞬間を「カノンイベント」と名付けてズラッと並べる気味悪さ。こう見せられると個々の物語は単なるイベントの集合体でしかなくなり、非常に軽いものに堕してしまう。スパイダーマンってそういうことじゃないだろう。この違和感を敢えて提示しているのなら信頼できる。

更に言えば、今回のヴィランであるスポットはまさにスパイダーマンの物語のせいで割を食った存在だ。あるいは、前作に対して「スパイダーマンに選ばれた時点で特別じゃないか」という批判があった(これについては自分は全く同意できない)が、まさにそこを突く展開もある。拡張であり補完なのだ。

しかし歪なのは、そうして「物語」に無視されてきた者が、マイルスにそれこそ既定路線的な自己犠牲の「物語」を歩ませようとしている構図だ。こうなると、カノンかどうか、異分子かどうかみたいな尺度は何の意味があるのか? ということになる。この辺りが次作への布石になってくるだろう。

一方で、今回軽いイベントごとにされた「スパイダーマンの物語」にも、自分は重みを回復させて欲しいなと思う(でないと『NHW』という素晴らしい作品が浮かばれない)。このあたりの止揚をうまく成し遂げられるか。クリフハンガー的作りも相まって後編のハードルが高すぎる。

ただ、正直言って「前編」の作りとしてはあまり感心しない部分も多い。今作だけだと、スポットというヴィランをどうするかの話と、スパイダーマンの運命の話とが分離しているように感じる。物語としては予告編以上のものがほぼなく、クリフハンガー部分が異様に長い。何でもかんでも『インフィニティ・ウォー』のようにしろとは言わないが、しかし今作なんてそれこそ「マイルスが一旦逃げ切る話」として構築してしまえば、”これ単体としても完結している前編“としてカタルシスがあったのに。この構成で140分はちょっと長すぎる。今年は「前編疲れ」の年になりそうだ。ワイスピ、これ、次はデッドレコニング。しかもみんな前編だけで2時間半。もう助けてくれ。

もちろん後編を観ないと何とも言えない部分もあるが、少なくとも前編としての完成度はあまり高くないと感じてしまった。前作を2019年ベスト、『NHW』を2022年ベストに選んだ人間として(そしてマトリックスは2作目・3作目は単体で描くべきだった、なんなら1作目で主題は全て描き切っていたと思っている人間として)、この2作があれば充分だったな、とはなって欲しくない。

※『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を観て、『ビヨンド』に期待したいことが明確になった話(ネタバレあり)
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※感想ラジオ
【ネタバレ感想】後編のハードルが爆上がり?『アクロス・ザ・スパイダーバース』に込められた意味 https://youtu.be/KU3vc9p2HAA
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