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海の上のピアニスト イタリア完全版のsixpenceのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

個人的書付(映画のタイトルはメモ済み)
未消化部分が残るので、いつかまた観る予定。
※ニュー・シネマ・パラダイスと同じ監督の作品

最初「面白い物語があって聞いてくれる人がいる限り、人生は悪くない」
 ↓
ラスト「どんな物語もやがて終わり 語るべきことを失う」

楽器屋の店主とマックス・トウーニー

彼女=アメリカ(自由の女神)

1900年(機関員曰く、イカれた世紀の最初の年)、大西洋を往復する豪華客船ヴァージニアン号で生まれ育ったナインティーン・ハンドレッド

船の中の捨て子(T・D・レモン)(ダニー・ブードマン)(1900 ナインティーン・ハンドレッド)
いつかこの坊やが、彼の物語を語りだす まるでキリストの復活

音楽が生活、人生と密接に関係しているという演出が「ニューシネマパラダイス」を彷彿とさせる。

ナインティーン・ハンドレッドにとって音楽は人生そのもの。
船=人生は旅のようなもの

洞察力が鋭い主人公
途中経過(セリフ)
「陸の人間は理由を求めすぎる」
「冬は夏を待ちわび 夏になれば冬を恐れて 飽きずに旅をし続けるんだ 遠く離れた常夏の地を求めて延々とね 無意味だよ」

ラスト(タラップを降りようとした時の回想)「あの街 終わりが見えなかった 教えてくれ どこで終わるんだ?」

「問題は見えたものじゃなく 見えなかったもの 見えなかったんだ 広大なあの街の終わりだけが存在しなかった あれじゃ最後に行き着く場所が分からない 世界の終わりがね」

「ピアノなら鍵盤の数には必ず限りがある だからこそ 弾く人間が無限なんだ 生み出される音楽も無限に広がる その世界なら生きていける」
(中略)
「行き交う通りの数だけでも何前何万とあった その中からどう一つを選ぶんだ? 愛すべき女 住むべき家 手に入れるべき土地 見るべき景色 自分のしに方」

「世界が重くのしかかり 終わりが見えない 僕は考えるだけでおかしくなりそうだ」
(中略)
「陸は僕には大きすぎる船だ」

以下、個人的見解
乗船客が劇中で何度も叫ぶ「(自由の女神を見つけて)アメリカだ!」
一方、ナインティーン・ハンドレッドは、自由の重圧に耐えらえなくなる。

私たちが日々を生きて行けるのは、ある程度制約のある生活、もしくは視野の狭さ、物を見抜く力の欠如、そのような「自らの能力の制約による〈船〉の小ささ」によるものなのかもしれない。

主人公は、子供の頃から船の中で色々な人を見てきた。
洞察力や想像力などの彼の能力はその中から鍛えられてきたものでもあるのであろう。
船の中で育ち発達したそのような能力が、皮肉にも彼から生きる力を奪ったのかもしれない。

追記
1900年(ナインティーン・ハンドレッド)、イカれた世紀の最初の年
経済が急速に成長し、生活スタイルが激変した頃であろう。
その変化が早すぎて、ついていけなかった人も多かったのかもしれない。
ましてや主人公であるナインティーン・ハンドレッドは?
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