【イロイロ】
目覚まし時計の音で目を覚まし、猫にエサをあげて、朝食がてらに新聞を読み、帽子を被って家を出る。
いつもの通勤路を通って会社に行き、9時から5時まで仕事をして家に帰る。
時間になったらベッドに入り、しばらくするとまた目覚ましが鳴る・・・。
何か特別なことがあるわけじゃない。
もしかしたら、人間は生きている時間の8割近くはこういったルーティンの中で過ごしているんじゃないだろうか。
毎日毎日何かしらの「特別な出来事」が起きているとすれば、それは橋田壽賀子先生が脚本を書いているとしか思えない。
そして、その何もない平凡なルーティンに「安心」を感じるのか、「物足りなさ」を感じるのかは、意外と些細なきっかけなのかもしれない。
知り合いから海外旅行の土産話を聞かされたときに(いいな~・・・)って感じつつも、(でも時間が・・・お金が・・・)なんて考えて切なくなってしまったり、あるいは、海の向こうで起きた大きな災害のニュースが報じられたとき、不謹慎かもしれないけど、今こうやって普通に暮らせている自分は幸せなことなんだと、どこかで自分自身に言い聞かせるように慰めるのかもしれない。
この作品では、そんな「何もない無機質な日常」を『直線』と『モノクロ』で表現している。
そして、そんな中でちょっとしたきっかけで訪れる「心のざわめき」を、線の乱れや柔らかいタッチの曲線で表すことで、彼の生活が一変していく様がよくわかる。
ただ、彼が憧れた相手は、彼の日常(ルーティン)とは真逆の人。
全てを「彼女」に合わせようと自分の直線すらもグニャグニャに曲げてしまう。
しかし、彼女は今までの彼の穏やかな生活にはなかった刺激的な女性。
次第に彼女のペースに着いていけなくなってしまう。
真っ暗な画面の中でショッキングピンクの女性の絵が動くという表現はなかなか良かった。
どこか淫靡で、男が彼女しか見えていないという魔性の雰囲気が出ていた。
結果的に、彼は「非日常」にちょっと憧れて、それまで描いていた「自分の線」を変えてみたんだけど、いきなり手を出すにはレベルが高すぎたって事なのかもしれない。
一度彩りを知ってしまった生活をまた元に戻すと、それまで以上に味気ないモノに感じてしまう。
それは「元通りの生活」に戻っただけなのかもしれないのに、何故かそれ以上に何かを失ったような喪失感に襲われる。
でも、世の中には自分に合った色や形はきっとあるよ。
ホッコりした救いがラストに訪れる。
ディズニー映画のオープニング短編なんかでもやりそうなプロット。
でも、実はちょっぴり感じている違和感のようなもの・・・。
「ジェンダー」とか「ダイバーシティ」とかに対する「理解」や「許容」というものが世界的な流れである昨今。
「世の中には自分の物差しだけでは測れないモノって沢山あるんだな」という理解は深まった。
だけど、それ以上に押し寄せる圧(プレッシャー)のようなモノ。
いつのまにか「マイノリティの権利」というものが一人歩きをして、それが「マジョリティ」との分断や対立の原因にもなっているんじゃないだろうかと。
本当は双方共にそんな事を望んでいたわけでは当然なく、ただ「ここにいる」という事をお互いが普通に認知できればそれで良かっただけなのかも知れない。
単に「マイノリティにも権利を!」というのなら、何故「LGBTQ」だけなのか?
「ヲタク」はマイノリティじゃないのか?
「デブ」は?「ブス」は?
人数の問題じゃない。
大多数が勝手に決めた「普通」の枠から一方的に弾き出された人たちに対する無邪気な悪意は誰が防ぐ?
・・・なんか全然違うところに着地した(笑)
「普通」ってなんだろか?いつ考えても答えが出ない。