櫻イミト

メシアの櫻イミトのレビュー・感想・評価

メシア(1975年製作の映画)
4.0
ロッセリーニ監督の遺作。新約聖書の忠実な映画化。※Filmarksではこれが本作最初のレビューとなることが意外である。

本作はパゾリーニ監督の聖書映画「奇跡の丘」(1964)への返答だと断言していい。同作ではイエスの声をイタリア俳優エンリコ・マリア・サレルノが吹替えているのだが、ロッセリーニ監督は何と11年後の本作でイエスの声にわざわざ同じ俳優を起用しているのだ。

ロッセリーニにとって新約聖書の映画化は念願だったとの事。“有名監督の中で最もカトリック的なのはロッセリーニ”とも評されるだけに本作には只ならぬ思いが込められたことだろう。

その演出手法は実に意外なものだった。各シーン映画用にしつらえたロケーションの中で役者とエキストラが当時を再現するように演じ続ける。それを、遠くに据えたカメラからズームとパンを駆使して極力カットを割らずに捉え続ける。例えればニュースの際のワンカメによる生中継と同じカメラワークだ。つまりは新約聖書をドキュメンタリータッチで再現しようと試みている。ネオ・リアリズモを超えるハイパー・リアリズモとでも呼ぶべきか。

衣装美術も費用はかけられているがとても質素で、西暦1世紀の風景を忠実に再現しようとしている。かつてハリウッドでデミル監督が手掛けた「キング・オブ・キングス」(1927)などのスペクタクル史劇とはベクトルが違う。演出も同様で、見世物的な要素は全て省略されている。イエスが行った奇跡の映像はなく磔刑も最低限の描写で済ませている。

重点が置かれているのは、イエスの人間としての等身大の生き様である。この点ではパゾリーニと立ち位置は同じだが、「奇跡の丘」でのイエスが怒りを秘めた革命家のような人物像だったのに対し、本作のイエスは穏やかで常に仲間内の生活作業を一緒に行いながら教えを説く、寺子屋の親しみやすい若先生のような好人物として描かれている。だからこそ、その死はとても身近なものとして感じられた。“復活”のシーンも、我々が故人に思いを馳せるのと同様な描写である。聖母マリアが仰ぐ大空にしみじみとした普遍性を感じた。

パゾリーニが「奇跡の丘」に次いで発表した「大きな鳥と小さな鳥」(1966) には、ロッセリーニ「神の道化師、フランチェスコ」(1950)からの引用がある(フランチェスコが鳥に説教するように命ずるシーン)。さらに劇中では、パゾリーニが自身を投影した左翼思想のカラスに「ロッセリーニとブレヒトの時代は終わった」と語らせている。パゾリーニはロッセリーニの作品を“創造的リアリズモ”と評価しながらも、本作でネオリアリズモの時代を総括し終わらせようとしたと評されている。そんな同作をロッセリーニが高く評価したことは有名な話だ。二人は互いに認め合う先輩後輩だったのだと思われる。

その後、パゾリーニはあらゆる面で先鋭化していった。二人がイデオロギー面でどのように違って行ったかはここでは追わない。ただ、ロッセリーニが本作で「奇跡の丘」を否定したのは明らかだ。両作とも新約聖書“マタイ伝”の言葉をそのまま引用しているがニュアンスは正反対の印象だ。パゾリーニの演出は革命家のアジテーションであり、ロッセリーニの演出は私塾の先生の教えのようだ。大雑把にまとめれば、革命家側か庶民側かの違いである。 

1975年11月、パゾリーニ(当時53歳)は激しく暴行を受けた変死体として発見された。最新説ではファシストによる暗殺とされている。本作が公開されたのは年が明けた1976年2月だった。

翌1977年6月にロッセリーニは心臓発作で亡くなった。享年71歳。

※唯一、本作で謎なのは聖母マリアの風貌が全く変わらないこと。イエスを生んだのは16歳の時(ヤコブ福音書)とされ、演じたミタ・ウンガロは当時17歳なので違和感はない。しかし、イエスが33歳で磔刑に処せられた時点でマリアは49歳なのに、加齢のメイクは全く施されず明らかに若々しいままなのだ。リアルな再現にこだわった本作の中で、この不自然さにはロッセリーニ監督の意図があるはずだが読み解けない・・・。
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