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This Is My Desire(英題)
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『This Is My Desire(英題)』に投稿された感想・評価

[ナイジェリア、海の向こうの理想郷を目指して] 80点

傑作。"移民映画"というジャンルがあるとすれば、多くの場合渡った先の国での生活を描いているが、本作品は様々な事情によって渡ろうとしたのに渡れなかった二人の人物を描いている。第一部"スペイン"では、スペインへ渡る直前に妹一家を一酸化炭素中毒で亡くした技師の男モフェを描いている。彼の物語は工場の心臓部でありながら、あまりにも複雑に絡み合った回路基板で幕を開ける。これがホントのスパゲティコードってか(多分本人が作ったわけではなさそう)。まるで彼の人生を絡め取る蜘蛛の巣のように、或いは彼の直面する複雑怪奇なシステムのように、モフェの前に立ちはだかる。工場の機械や電気系統は全てその基盤に集約されているようで、頻繁に故障してはモフェが修理してギリギリの状態で生きながらえているのだが、会社側は彼を"エンジニア"と名前すら呼ばず、必要な部品も中々注文しないなど蔑ろにし続ける。そんな矢先、同居している妹と二人の息子が一酸化炭素中毒で亡くなってしまう。すると、遺体の引き取りから銀行口座解約と引き出しに至るまで、ひたすら金がかかることに気が付く。第二部"イタリア"では、昼間は美容師、夜間はバーテンダーとして働きながら、妊娠した妹とともにイタリア移住を目指す女性ローザを描いている。働けど働けど資金は足りず、妹は非協力的で、変態大家は何度断ってもめげずに言い寄ってきて、職場のバーで知り合ったアメリカ人駐在員は彼女に幻滅しか与えない。

二人の物語は病院での最も苦しい瞬間と、ある夜の最も優しい瞬間に交差し、夢破れて故郷に残ったすべての人々を代表させている。どんな瞬間であれ光の柔らかさと色の鮮やかさによって、一定の距離を守りながらも温かい眼差しを向けるカメラによって、本作品は特異な存在感を放っていると言えるだろう(ちなみに、撮影監督はデア・クルムベガシュヴィリ『Beginning』のArseni Khachaturanだった)。もう一点、特異な点を挙げるとするならば、本作品は残った人々のその後を描いていることだろう。彼らが移住資金を得るために自ら開拓していった道の果に、これまで切実に追い求めてきた未来が国内でも実現可能だったことに気が付くのである。これはモフェ限定の話で、ローザには適用されないのが辛い部分ではあるが、ただ破れて散っていくだけではないことを思い出させてくれる点で興味深い。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

3.8
【スパゲッティコード(物理)を保守する男の悲哀】
ナイジェリアの映画評論家Wilfred Okicheが"NETFLIX ISN’T THE SAVIOR NOLLYWOOD NEEDS"の中で紹介していた『EYIMOFE(THIS IS MY DESIRE)』を観た。本作はワガドゥグ全アフリカ映画祭コンペティション作品にしてクライテリオンから円盤が発売されたナイジェリア映画である。Netflix配信のナイジェリア映画(通称:ノリウッド作品)は画作りが弱いことが少なくないのだが、本作は印象的なショットが多い作品であった。

本作はエンジニア、特に社内SEやITシステム部、保守など運用できて当然と言われているような技術部門で働いたことのある人にとって涙なくしてみられない作品である。冒頭に映し出される物理的スパゲッティコードが登場人物の一筋縄にはいかない人生を暗示しているわけだが、注目すべきは技術者モフェの生き様だろう。彼は工場で働きながら、複雑怪奇となった電源ボードのメンテナンスをしている。このままでは不味いと思い、マネージャーにリスクを語るが、「あん?明日にでも見ておくわ。帰る。」といって適当にあしらわれてしまう。しかも、彼のことを名前で呼ぶことはあまりなく、「エンジニア」と呼び雑に扱うのだ。それでもって一度、工場が停電になれば怒号が降ってくる。

「お前、なんてことしてくれるんだ。とっとと直せ!」

治したところで感謝すらされず、「エンジニア」と雑に呼ばれ扱われる。これは「動いて当然」としか思われていないインフラに携わる者の宿命といえる哀しさがある。動くのは当然であり、壊れたらエンジニアのせいだと扱われる。修復には技術が必要で複雑怪奇に絡んだ事象をもとに直す必要があるのに、その難しさは理解されない。この悲哀は海を越えた遠いアフリカの地でも変わらないのだ。

この生々しいやりとりは日常的に発生する人生という名のクソゲーにも当てはまり、時間とお金がとにかくかかり消耗するおつかいミッションへと跳ね返っていく。では本作は厭世的な物語なのか?それが違う。地を這うように複雑な迷宮を進んだ中にある、小さな自己実現。この尊さに向かって着地する。この描写に感動するのである。

『ビギニング/Beginning』の撮影監督であるArseni Khachaturanの温かみのある眼差し。Netflix配信のナイジェリア映画ではなかなか観ることのできない市井のナイジェリア。そしてそれらの映画と共通してマネージャーが女性であり、ナイジェリア社会における女性の社会進出の高さがうかがえる描写含めて興味深いものを感じた。