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最後にして最初の人類のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

最後にして最初の人類(2020年製作の映画)
3.1
【ヨハン・ヨハンソンは天空から囁く】
7月のオリンピック4連休最終日はヒューマントラストシネマ渋谷でヨハン・ヨハンソン遺作『最後にして最初の人類』を観ました。本作は、『博士と彼女のセオリー』やドゥニ・ヴィルヌーヴ映画の音楽家として活躍し、2018年に亡くなったアイスランドの作曲家であるヨハン・ヨハンソンが短編『End of Summer』に次いで制作した長編初監督作にして遺作である。予告編を観る限り明らかに映画館観賞必須な作品。本作を配給した株式会社シンカを賞賛しつつ、ヒューマントラストシネマ渋谷の音響にこだわったオデッサ上映で彼の最期のメッセージを受け取りました。

打ち捨てられたかのような、自然の中に君臨する荘厳なコンクリートのオブジェをじっくりとフィルムは収める。そして、重々しいサウンドが劇場をこだまする。通常であれば上映事故になりそうな、重厚な音すぎてスクリーンに波紋が出現する場面も、この映画に関してはアリだ。世界の終わりを目撃しているような。あのラース・フォン・トリアー『メランコリア 』のラストで人類の滅亡がスクリーンの外側にまで侵食する感触が70分に渡り覆い尽くす。

ドラマを廃したコンクリートのオブジェの画、画、画のアートギャラリー。その外側でティルダ・スウィントンが囁く20億年先からのメッセージは、人類が遥か昔に描かれた壁画や生活の痕跡を基に物語を紡ぎ直す際のロマンを彷彿とさせる。必然と我々は未来人の視点となり、未来からすればこの荘厳で意味ありげなコンクリートがかつて人類がもがきながら生み出した代物であるだろうと脳内にイメージを作り上げながら監督と対話するのだ。

この感覚は、デレク・ジャーマンが死にゆく自分の感覚を捉えようと青い画面の中でナレーションだけを木霊させ、観客との対話を試みた『BLUE ブルー』を思わずにはいられません。

確かに睡魔襲う作品であるのだが、世界が終わりに向かう今に沁みる作品であった。
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