YasujiOshiba

Santiago, Italia(原題)のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

Santiago, Italia(原題)(2018年製作の映画)
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イタリア版DVD。積読をようやく開封。最後まで見て膝を打った。そうか、モレッティは自らの政治的信条を、チリからの亡命者たちの言葉に託したのだ。

このドキュメンタリーを構成する言葉の多くは、世界で初めて自由選挙(これが肝心、しばしば共産主義国において見られるような資格審査がない自由な選挙)を勝ち抜き、世界で初めて共産主義者の大統領サルバドール・アジェンデを選出したものの、その後ピノチェトによるクーデーターでイタリア亡命を余儀なくされた人々。まさにあの『不屈の民¡El pueblo unido, jamás será vencido!』の当事者にほかならない。

映画は四部構成だ。第一部「1970-1973、人民統一の年月」は、世界で初めて、自由選挙によって社会主義政権が成立する。アジェンデ大統領の傍らには詩人のパブロ・ネルーダが民衆の大歓声を受けている。ネルーダとはもちろん、あのトロイージの『イル・ポスティーノ』(1994)の詩人である。

ところが、ついに人民が選び取った社会主義政権には、かのアメリカのニクソン政権の横槍が入る。金融封鎖。物価の高騰。アジェンデが生活必需品の価格据え置き措置をとれば、物資は闇市に流れ、人々の手にとどかなくなる。混迷化が進む。それが軍事クーデーターへと結びつく。しかし、モレッティはそこで CIA の暗躍などの話は持ち出さない。ただ淡々とインタビューを重ねてゆく。

そして第二部は「1973年9月11日」。タイトルの日付はピノチェトによる軍部クーデターのそれだ。もその背後にはニクソン政権がいる。誰もが知ることだが、モレッティの重ねるインタビューと当時の映像資料は、このクーデターがいかに理不尽なものかを語る。大統領は国民に大統領官邸であるモネダ宮に集まれと演説。しかし武器を取れとはいわない。モレッティは「内戦をさけようとしたのだ」という証言が拾う。

そのモネダ宮殿の人民に、軍隊は投降を呼びかける。さもないと爆撃するというのだ。そして実際に大統領宮は空爆される。自国の大統領宮を自国の軍隊が空爆するという理不尽。この理不尽に続いて、アジェンデ大統領が連れ出されたという証言と、自殺した公式発表が重ねられる。それが弾圧の日々の始まりだ。

大統領派の若者たちが逮捕され、国立競技場に連れてゆかれる。証言はそこでの尋問と拷問について語りはじめる。急所を狙う残酷な拷問に耐えるなら名前を言ってもらったほうがよい。そうすれば苦しまずにすむのだという証言。または、一生悔いるよりも話さないほうがマシだったという女性。彼女が語るのは、聞くに堪えない屈辱的な拷問。

つづいて第三部は「イタリア大使館」。それはサンチャゴで最後まで活動していた在外大使館であり、つぎつぎと左翼の活動家たちが逃げ込んだのだという。やがて、証言者たちの多くがイタリア語を話し始める。なぜなら彼らは、ピノチェトが恐怖政治をしいたサンチャゴから、二メートルほどの塀を乗り越えてイタリアに亡命した人々だったからだ。

第四部は「イタリア旅行」。イタリア政府は彼らの亡命を受け入れる。こうしてイタリアにやってきたチリの人民は、イタリアでの思いがけない歓待を驚くことになる。チリから来たと知ると、イタリアの人々は口々に「わたしにできることはないか」とたずねてきたというのだ。

ここには連帯するイタリアの姿がある。コンサート/政治集会で、ジャン・マリア・ヴォロンテがチリからの亡命者を紹介するシーンがある。その時のことを思い出してチリの証言者が涙する。

そんなイタリアがあったのだ。だからこそ、最後の最後にモレッティはこんな証言を入れる。「けれども、最近イタリアを旅行して思うことは、サンチャゴに似てきたということなのです。あのピノチェトのサンチャゴに」...

なんと強烈なメッセージ。ときに映画が公開された2018年は、マッテオ・サルヴィーニが率いる「同盟 Lega 」が歴史的な勝利をおさめ、サルヴィーニはジュゼッペ・コンテ政権の副首相兼内務大臣に就任。その姿を見たモレッティは「自分がなぜこの映画を撮ったのか、サルヴィーニの大臣就任ではっきりわかった」と述べる。

かつてベルルスコーニの勝利を前に、ふてくされて大麻を吹かしてみせた『エイプリル』(1998)のモレッティはここにはいない。しかしながら、『サンチャゴ、イタリア』のモレッティは、大麻を吹かすよりも過激なドキュメンタリーを、イタリアの今に突きつけている。

かつてベルルスコーニとテレビ討論するマッシモ・ダレーマに向かって、「左翼らしいことを言ってくれ D' qualcosa di sinistra 」と絶望的に語りかけたモレッティは、ここに左翼の言葉を見出したのだ。たとえそれがもはや消えゆくものであるにしても。
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