このレビューはネタバレを含みます
映画館に見に行けば良かった。
久しぶりに後悔した。
こんなに後悔したの初めてかもしれへん。
予告見た時、悩んで時間無いの言い訳にした自分を恨むくらい後悔した。
どんなに簡単に言おうが、心が追いつかへん時に、自分じゃない誰かになりたかった凪沙。
なりたくて、なれるように進んだ先には、なりたい自分じゃなかった。
最初からお母さんになりたかった訳じゃない。
なんで私だけ。って思えば思うほど、産まれた時から理不尽な生き方しかできひんかった。
1人の〝女〟として、〝一果〟と一緒に生活した時間は短かったけど、十分すぎるくらい温かくなれたと思う。その過程でお母さんになりたいって思えたのは、その時には既に凪沙が心から女に生きてた証拠だと思う。
一緒に公園でバレエの練習した時に、おじいさんが言った、[朝が来たら白鳥に戻る]は間違いじゃなかったやろ。
白鳥にならな、飛んでいかれへんから。
世界でバレエをやるには白鳥にならなあかんやろ。
凪沙が髪切って、就職した朝。
頼んでないってモノをひっくり返したのは、[自分の大事なものを諦めて差し出された幸せ]をくださいって頼んでないってことやったんかな。
どれだけ大切にしてきたか分かる分、それを捨てさせてしまった自分にもイライラした。
りんと一果は若いうちから親の犠牲になりすぎたな。似ても似つかん境遇の2人がお互いの肩を借りる度に辛くなっていく様が辛すぎた。
舞台に上がってきた、本当の一果の母親。
勝手やなって思う反面、これは凪沙目線であるが故に、悪者に見えてしまうところもある。
お腹痛めて産んだのは母親やったし、育児放棄したのも母親。どんなに酷い親でも、産んだっていう事実だけで一果が母親の元へ帰ったわけじゃないとおもう。
多分、この映画に出てきとるひとに限らず、生きづらい世の中を自分なりにもがいた分だけ不幸になる。時もある。
最後の海で、人生で最初に違和感を覚えた場所で、一番かわいい〝私〟と、一番綺麗な〝娘〟を見れて幸せな時間。
キレイに終わりすぎるっていう人もおるやろうが、本人たちからしたら全然綺麗じゃない。
自分の人生を変えた人のそばで2人ともこれからもっと話したいこともあったやろうし、ゆっくり時間を送りたかったのに。
難しい。
めっちゃくちゃ難しい作品やった。
見てよかった。
でもほんまに映画館で見たかった。
ボロボロに泣いたやろうが、これは座席に深く座りこんで、エンドロールの余韻でまたビスビス泣きたかった。
独特の雰囲気に飲まれる瞬間、映画ってことを忘れる。