『ゆれる』の監督さんだったか……。
役所広司がヤクザを演じるってだけで、この映画の限界はとうに見えてるわけです。それを良くも悪くも裏切らない。
平山秀幸監督の『愛を乞う人』を思い出しました。テイストは違いますけど。なんというか、真面目に、丁寧に作り込む往年の日本映画ですね。日本アカデミー賞の常連になりそうな。なんか、ウェットで、お仕着せ感ハンパないんだよなぁ。これぞ、ザ・社会問題ですぞ、的な? セリフも一々説教臭いし。説教臭くないように説教するってのが、またいやらしい。なにマジメくさってんの……って結局はなってしまう。セリフが説明的過ぎるから? ユーモアが足りないから? 東京の夜景にジャズを重ねちゃうから?
長澤まさみを全然可愛く撮れていないのには、ちょっと好感持てましたが、だったら長澤まさみでなくてよくね? とも思う。
でももうヤクザが役所広司なんです。ハナからリアリズムなんて求めてないでしょうに、と。それはつまり、あざとさであり、偽善的であるといっていいかもしれない。
だって、なんの救いもない人間だっているわけだから。クズを地でいくような人間に、それでも手を差し伸べる人々を撮ってみなよってことですよ。そういう人は、もはや「いい人」では済まないでしょう。
秋桜なんかで締め括らないで欲しいんだよな。泣かそうとしてるんだとしたら、失礼な話ですよ。もちろん観客に対して。そういうところに美学を立てる映画ってどうなのよ。でも、いずれにしても役所広司だから、キョトンとしてしまう。
仲野太賀のラストの愁嘆場も、あれを蛇足と感じる感性でなければ、とてもホンモノの「映画」なんて撮れないでしょう。