YAJ

ブータン 山の教室のYAJのネタバレレビュー・内容・結末

ブータン 山の教室(2019年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

【ピュア】

 いかにも岩波ホールがもってきそうな作品。
 それを信州の地で鑑賞。ながでんシネマキップを使って割引汽車賃で長野ロキシー相生座で鑑賞。

 ブータンという国の現状と、将来的に抱える問題を映像を通して理解することができる良作。
 ブータン人の監督が脚本を書き、自国の俳優、スタッフを使って作り上げた作品には、過度な期待  — いわゆるGNH(国民総幸福量)を尊重する世界一幸福な国という理想像 ー  が特筆されることもなく、チベット仏教を拠り所とした前近代的な自然と一体となった暮らしぶりが、やたら強調されることもない。さりげなく精霊を敬う姿、輪廻転生を信じるセリフが挿入される程度で、逆に信憑性がある。

 一方で、僻地の村へ赴く首都に暮らす若者である主人公のウゲンたちが、iphoneやAppleのコンピュータを駆使し、なんら世の若者たちと変わりない姿も描かれる。
 近代化が進む都会と旧態依然の地方との格差、変わりゆく自国の姿を真摯に残しておこうとする若きスタッフたちのケレンミのない製作意図を、なにより尊重して拝見したい作品。



(ネタバレ、少し)



 フィクションともドキュメンタリーともつかない、やや中途半端な、詰めの甘いストーリーではある。都会と僻地の格差を描き、変わりゆく自国ブータンの姿に警鐘を鳴らさんと、精いっぱい頑張って撮ったのかと思われる。

 主人公ウゲンが暮らす首都ティンプーでは、PCや、スマホが普及し、道路には車がたくさん走っている。
 あれ?ブータンは「周回遅れのトップランナー」ではなかったの? 世界が行き過ぎた経済合理性の先にようやくたどり着いた環境保全やロハスといった最先端思想を、鎖国で近代化が遅れたおかげで、ブータンはすでに手にしていて、「私たちがそうなったかもしれない未来」がそこにあるのでは?(『未来国家ブータン』(高野秀行著)より)
https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4087454541

 そんな現状を映像として見れたのは貴重だ。
 一方で、辺境のルナナ村。 授業で子どもたちに「Carとは?」と聞いても、知らないという。
 それよりCarだよ。ブータンの母語ゾンカ語ではなく、英語で授業をしている驚き。いや、教育政策の遅れだな、これは。

 あとでググって分かったけど、教師不足をインドからの人材で補ったため、英語で授業が行われている現状があるそうな。
 それゆえに、日本の五十音にあたる、言葉の”いろは”を、何度も何度も歌のように復唱する授業風景が描かれていたが、失われていく母語を残していかなければいけないという危機感の現れだったのかもしれない。 

 「教師は未来に触れることが出来る人」

 印象的な言葉が胸に残る。教師は、というか、「教育」は、子どもたちに、あるいはその国に、未来を見せるものであるのだ。

 が、映画ではそのあたりがうまく描かれていない。
 いろんなことを、汲んであげないといけない、まだまだ未熟な作品であることは間違いない。
 ただ、それをひと言で、駄作だ、とも言いきれないピュアな部分が、本作の実は持ち味なのかもしれないところが不思議な魅力でもある。
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