しの

アラビアンナイト 三千年の願いのしののレビュー・感想・評価

3.7
あの本当に優しいラストショットを見れただけでも価値があると思った。わざわざ「これ実体ですよ!」と駄目押ししてくるあたり、物語を本気で信じているのが伝わってくる。他者を理解し、自分を理解する営みとしての「物語り」を、ホテルの一室で愚直に描く姿勢が愛おしい。

冒頭で「この話は物語として語った方がわかりやすい」という旨のナレーションが入るが、これがそのまま本作のテーマに通じている。我々は物語に触れることで世界に触れ、他者に共感し、そして物語ることによって世界や自分について理解する。本作自体がその構造を持っているのだ。

魔人はいわば「物語の力」そのものだ。“三つの願いを叶える”というクリシェは歴史上の女性たちを鼓舞してきたが、同時に破滅にも追いやってきた。つまりそれは、虚構とはあくまで現実を生きる背中を押すためのものであって、依存してはいけないということではないか。実際、あの女性たちは魔法がなくとも願いを叶える力はあったはずなのだ。だから魔人は決して人と結ばれない。

一方、主人公は物語論の学者だが、自身の物語を持っていない人物だ。願いを叶えるというクリシェしか持たなかった魔人は、そのクリシェが通用しない(物語を持たない)彼女に出会うことで、はじめて「結ばれる」ことになる。この関係性が非常に示唆に富んでいる。それは、物語によって世界に触れ、他者に共感し、そして自分を理解していくプロセスそのもののメタファーではないか。これによって物語と人は真の意味で「愛し愛され合う」。ジョージ・ミラーは、我々と物語との関係性をロマンスとして提示しているのだ。

だからこそ、やがて主人公は魔人に別れを告げ、三千年に渡る「願い」の物語の延長線上に、自身の物語を紡いでいくことを決意するのだ。別れの前夜、2人のとある愛らしいショットなんて、完全に『さようなら、ドラえもん』でドラえもんが寝ているのび太を見つめるコマと同じだと思った。しかし本作がユニークなのは、人間だけではなく「物語側も救われる」という観点があることだろう。そしてあのラストショット。なんて優しい発想だろうと思った。もちろん、ホテルの一室で延々と語られる物語が、強固なビジュアルイメージを伴っていることは前提としてある。

ただ正直、物語に関するこうした「優しいメタファー」を味わうことを抜きにしてしまうと、本作自体は物語としてそこまで面白いとは思えない。その意味で、響く人には響くカルト的な人気は得られるかもしれないが、決して万人向けでない変な映画であることは確かだと思う。かく言う自分も最後までなんだか捉えどころのない話だなと思って観てしまったが、あのラストショットの優しさは忘れがたかった。
しの

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