晴れない空の降らない雨

飄々 拝啓、大塚康生様の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

飄々 拝啓、大塚康生様(2015年製作の映画)
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 大塚康生のドキュメンタリーなんだけど、「教えることに関して言えば、宮崎駿なんて全くうまくないです」という高畑勲の証言が一番記憶に残った。まぁみんな知っていることだけど。
 証言者も高畑勲や小田部洋一をはじめレジェンドばかり。しかし宮崎駿はいない。ルパンやコナンで散々世話になったくせに恩知らずな野郎だ。
 マニアックな題材で偉大な方々にインタビューしている割に今少し掘り下げきれていない感があって残念だが、いちおう戦後アニメ史を垣間見れる内容になっている。よく言われるように日本のアニメ史は、東映からジブリに続く流れと、『鉄腕アトム』からのテレビアニメの流れがある。前者はフルアニメーション志向で、後者はリミテッド(予算制約によるもので志向したわけではない)。そのことがハッキリ説明されるわけではないが、関係者の発言からこの辺りの意識が窺える。
 中盤は『ルパン』、後半は『NEMO』への言及が多い。『NEMO』の話が一番面白かった。テレコムと『NEMO』の重要性を知れたのが個人的収穫。『NEMO』に関しては最近パイロットフィルム見て度肝を抜かしたわけだけど。

●当時のアニメ業界と『ルパン三世』
「アニメ業界は瞬くうちに精神的にカチカチに固まって、フリーズして、精神的な言葉を延々と喋るのが定着しちゃったから(…)(『ルパン』は)とにかくリラックスしたポーズを描こうと」(おおすみ正秋)
「『ルパン』に関していえば大塚さんは非常に乗ってた。かっこつけて立派なこと言うようなシリーズが根性モノ含めて多かったから、非常にくつろいだ雰囲気のものをやろうというね。それはだから嬉しそうにやってたんですね」(高畑勲)
「テレコムのスタッフは『カリオストロ』で仕上がったかなという感じ」(富沢伸夫)

●『NEMO』とテレコム
「ただ、『リトルニモ』は中断があったおかげでね、若い人なんかは動物園にスケッチしに行ったりしましたよね。仕事がないからね。そういうのが非常にみんなの肥やしになったんじゃないかなと思います。あの後、みんなすげえ良いアニメーターになっちゃいましたから。普通そういう状況になることないですよね。自分の勉強できる時間はなかなかアニメーターに与えられないですから。『ニモ』でとても良かったところですね。人が育った」(富沢伸夫)
「あの二人(友永と近藤)があんまりいい仕事したんでね。それを機会に僕はアニメーションから現場やめたんですよ。これはもう大丈夫だと思って」(大塚康生)
 

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 それにしても和製アニメのリミテッド性を擁護、果てはそのオリジナリティを賞揚する向きには閉口する。大抵その手の言説はディズニー腐しとセットになっているが、研究者にもこういう適当なナショナリスト笑が多い。日本のアニメも、そのチャンスがあるときは「動き」を追求してきたわけで、要するにその歴史は正統的な発展をたどったと言える。そして評価の高い作品は、昔も今も概して作画が良いではないか。当たり前の話である。
 ただ、「動きに注力できなかった分ストーリーやキャラクターが豊かになった」という意味では歴史的な役割はあったかもしれない。この擁護の仕方は、リミテッド演出そのものの擁護になっていないから非常に弱いものだが、それでもなお相対化されるべき意見に思える。
 まず、そもそも大半のアニメには「漫画」という原作があり、そこで大半のストーリーやキャラクターは創造されていた。むしろアニメは原作の持つ複雑さや豊穣さをスポイルしてきた側だ。
 次に、アメリカとの比較でいえば、アメリカなら「実写」で作られたような作品が日本では難しいから、アニメという媒体が消極的に選択されたという側面も無視できないだろう(もちろん当時のハリウッドでも実写が難しい作品があったことは認める)。つまるところ日本では特定ジャンルの創作の才能が実写よりアニメに流れやすかったから、「ストーリーやキャラクターが豊かになった」と捉えた方が適切ではないか。もっとも結果的には、ニッチ戦略としては大成功だったのは確かである。