おだ

わたしは光をにぎっているのおだのレビュー・感想・評価

わたしは光をにぎっている(2019年製作の映画)
4.0
「それでは私たちは、誰の目にも触れる場所であるにもかかわらず、誰の目にもとまらないようなものについて語ることができるだろうか。」(岸政彦『断片的なものの社会学』)


生きていくことにもがく不器用な主人公が送る、出会いと別れの日々の断片。それは、失われて初めてその価値に気づく、誰にでも起こりうるような物語ではない。この作品が表現しているのは、ただ、そこにあるふつうの物事なんだと思う。


視点が静止したカットが多かったのは、何にも残らない、誰も気にとめないようなごく「あたりまえ」のことであったからではないか。

はじまりも、おわりもせず、ただ続いていく物語のほんの小さな断片。良い悪いではなく、いつでも私たちの目の前にある厖大な何事かのひとつ。ただ、いつでもどこでもそこにあることを描いたこの物語が、とても愛おしく思える。



『自分は光をにぎっている』/山村暮鳥

自分は光をにぎっている
いまもいまとてにぎっている
しかもおりおりは考える
この掌をあけてみたら
からっぽではあるまいか
からっぽであったらどうしよう
けれど自分はにぎっている
いよいよしっかり握るのだ
あんな烈しい暴風の中で
掴んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあっても
おゝ石になれ、拳
この生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎっている
おだ

おだ