ジャン黒糖

ラフィキ:ふたりの夢のジャン黒糖のレビュー・感想・評価

ラフィキ:ふたりの夢(2018年製作の映画)
3.5
Netflixで昨年配信された『2つの人生が教えてくれたこと』を手掛けたケニア出身の監督ワヌリ・カヒウが気になって先に本作を鑑賞。
ケニアの映画って観たコトなかったなぁと。
(Filmarksで制作国=ケニアで登録されている作品は15本しかなかった)

【物語】
首都ナイロビで暮らすケナは、離婚した母親と二人暮らし。
別々に暮らし、国会議員選挙に出馬中でもある父が経営する雑貨店の手伝いで働く彼女はある日、父の対立候補の娘ジキと出会う。
親同士の対立関係、女性軽視・同性愛者蔑視をする地元仲間をよそに、ケナとジキは次第に惹かれ合い、2人だけの関係を築いていくようになるのだが…

【感想】
タイトルのラフィキ、これはライオン・キングに出てくるいかにも信用ならなそうな呪術師の猿のこと…ではなく、直訳するとスワヒリ語で「友達」を指す言葉だそうで、本作を観終わってみるとこのタイトル自体がもうちょっと切ない。

調べると、ケニアは同性婚や同性同士の性行為を法律的に禁止しており、2019年には同性同士の性行為は禁止とする法律を合憲と判断、国民の大半が同性愛に対して否定的、らしい。
本作はカンヌ映画祭、ある視点部門にケニア映画としては初めて選出された快挙の一方で、本国では検閲によって上映禁止とされたこともあるそう。
その後、アカデミー賞外国語映画賞にエントリーするため、舞台にもなった首都ナイロビで1週間限定で上映。話題もあって長蛇の列ができたとか。

たしかに本作はそういった国内のネガティブな反応がいたるところで垣間見れる。

たとえば主人公ケナが普段つるむ連中。
酒場で会う飲み友はとことん性格悪く、そういった服装の男性を見るなり「見た目がますますオカマっぽくなってきたぜ」など、とにかく発言に遠慮も品もない。

ケニア国内の同性愛に対する嫌悪、ホモフォビアは様々な理由があるとは思うが、ひとつには国民の多くがキリスト教徒であることが挙げられる。
最近でも、ローマ教皇庁が同性婚を認めない見解を発するなど、いまだに宗派によってその姿勢は様々。

ケニア国内においては上述のとおり、本作を上映禁止と判断しただけでなく、同性愛者に対する処罰、冷遇に関する事件が発生している。
今年はデザイナーにしてモデルでもあり、LGBTQ活動家でもあったエドウィン・チロバさんという方が、無惨な姿で殺されたというニュースを目にした。

正直、本作を観るまでこの残酷すぎるニュースを目にすることすらなかったが、海外ではこれを大々的に取り上げていたという。

遠い東アフリカのニュースがここ日本だと話題にならないということ自体に、この手の話題に関する海外との意識の違いを感じた。


また、ジェンダーによる格差、意識の違いも本作では如実に描かれる。

ケナがジキと飲み屋に行くと飲み友達である男たちからは「"未来の元妻"に出会わせてくれてありがとうな」と、相変わらず品のない言葉をかけられる。
また、将来医療の道へ進もうと志すケナに対し、ジキは「医者になれる」というが、そのことについても男たちからは「看護師にお前ならなれる」という。この差。

ケニアは国内総生産のおよそ3割を農業が担い、全労働人口の7割が農業に関わるという、農業大国。
女性の社会進出も他のアフリカ諸国よりは進んでいるものの、就く業種、職種、役職においてはまだまだジェンダーギャップは多いそう。
様々な部族からなるケニアは、因習によって娘に強制婚を求める部族や、女子割礼を強いる部族もあるという。

そんな女性として求められるロールに一定限りのあるなかケナは、お母さんの病気のこともあってか、将来は医療の道に進もうと考えている。

お互いに惹かれていくジキは、そんなケナの将来の展望を応援している。
お互いに、ここではない、自分のやりたいことを実現する夢、に惹かれている。

2人にとっての「ここ」とは、いうまでもなく、彼女たちの地元でもあるスラム街だ。

先程国内総生産の話について少し触れたが、ケニアは東アフリカのなかでも近年経済成長が著しい地域といわれるなか、経済格差もまた激しく、0.1%以下の富裕層にその他99.9%以上の富が集中しているという。
そのため、首都ナイロビにおいても大小様々なスラム街が形成され、新型コロナ下では暴行事件も多発していたそうな。

そんな地域で育った2人の父親はともに国会議員の選挙に出馬しており、マニフェストの違いから対立関係にある。
そんな対立関係のなか、2人は誰にも言えない2人だけの関係を深めていくことになるのだが、この構造自体はもろに『ロミオとジュリエット』的であり、現代ケニア版として興味深かった。


と、ここまでは主に観賞後調べたお堅い内容を交えて書いてきたけど、2人が過ごす世界観はカラフルで素敵だった。

ケナの住む集団住居や、父親が経営しているショップ、ご近所の噂話に常にアンテナ張ってる店主がいる地元の飲食店などの景観は裏寂しい。
週に一度彼女たちが親と通う礼拝での神父の言葉は伝統的な価値観のもと、同性愛については「悪魔が憑いている」と言い放ち、徐々に惹かれていく2人にとっては窮屈な場所。

ただ、ジキの部屋や、洗濯物が干されている屋上、町外れの古びたバンの車内など、2人きりで過ごす場所はレインボーカラーを想起させるような色合いが綺麗で、2人の秘めた特別感を美しく彩っている。

そんな2人の秘め事は、やがて身の回りに知られていくようになり、『ロミオとジュリエット』のごとく2人の関係性は引き裂かれていくことになる。

観賞後に調べたケニア国内のホモフォビアによる残忍な事件も相まって、この物語の終盤に起きる出来事はリアルで悲しい。
タイトルの『ラフィキ』="友達"という言葉の意味が切ない余韻を残す。

ただ、ラスト数分で描かれる悲劇のその後、は現在のケニアを生きるケナにとっての夢、そして2人にとっての夢に明るい希望を予感させる。

邦題『〜ふたりの夢』は、そんな現代ケニア版『ロミオとジュリエット』の結末に、救いを持たせてくれる。
自分にとって視野を広げてくれる、良い映画体験でした。


最後に、今回観賞後に調べるなかで見つけた本作の記事と、監督自身がTEDで語った動画のリンクを備忘として貼っときます。

外国から見たときのアフリカという地域に対する先入観。
それを切り取るのではなく、美しいものを描くという監督のビジョン。
なるほど素敵です。

https://www.banger.jp/movie/21695/
https://www.ted.com/talks/wanuri_kahiu_fun_fierce_and_fantastical_african_art/transcript?language=ja
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