せーじ

魔女見習いをさがしてのせーじのレビュー・感想・評価

魔女見習いをさがして(2020年製作の映画)
4.3
324本目。

■むかしばなし「おジャ魔女どれみができるまで」
むかしむかし、あるところに「東映アニメーション」というアニメスタジオがありました(今もあります)。ある時、日曜日の朝に放送される女の子向けの作品枠で「原作に頼らないオリジナルアニメーション」はどうだろうかという企画が持ち上がりました。と言っても、その頃の東映アニメーションでは、長い間オリジナル作品は作っていませんでした。困ったアニメーターの人々は、かつて人気だった「魔女っ子もの」にしてみてはどうだろうかと考え、アイディアを出していきました。
プロデューサーの関さんはそれらを取りまとめ、様々な文献に当たったところ、『夢のチョコレート工場』(チャーリーとチョコレート工場)の作者であるロアルト・ダールの『魔女がいっぱい』という作品に行きつきます。その作品のストーリーではなく「魔女が人間の世界に入り込んで暮らしている」という設定に惹かれた関さんは、そこから企画を立てていきました。また関さんたちは「より子供たちに身近に作品を感じてもらいたい」ということを考え、スポンサーを無理矢理使って全国の低学年の小学生たちの声を拾うことにしました。実際に暮らしている子供たちの周囲にどういった問題があるのかということを調べたかったのです。こうしてできたのが「おジャ魔女どれみ」という作品でした。
関さんたちの頑張りによって「おジャ魔女どれみ」は、大人気を博します。しかしそれは、関さんたちにとっては想定外の出来事でもありました。何故なら、作り始めた時点では人気を得られるかどうかは全くわからず「だったら思いっきりやれるだけやってやろう、やりすぎ上等!」という、継続してつくることを度外視した作り方で作ってしまったからです。作り手の人たちは「他の企画と一年ごとに作ることができればいいかな」くらいに考えていたそうです。しかし、スポンサーや上層部は「来年もこの続きを!」と強く求めてきました。つまり同じスタッフで(しかもクオリティを下げずに)この続きを作って欲しいと求められてしまったのです。
こうしてそこから関さんたちは、通常のアニメでは滅多にやらない膨大な準備作業を泥縄的に繰り返し、次のシリーズの為に話を強引に結びつけるということを3回も繰り返すことになってしまいましたとさ。
とっぴんぱらりの ぷっぷのぷー!
(以上、pixiv百科事典の記事から引用、再構成)

※※

むかしばなしはこれくらいにして、本作は1999年から2003年まで、いわゆる「ニチアサ」で放送されていた「おジャ魔女どれみ」シリーズの、おそらくはスピンオフ新作と言っていい内容の作品なのではないかなと思います。
(おジャ魔女どれみはアニメシリーズが終わってからも、小説などで続きが描かれ、最終的には主人公たちが大学を卒業するまで描かれているそうです。すごいなぁ…)
自分自身はきちんと真面目には観てなかったのですが、妹が世代で、なんとなぁく脇で見ていた感じです。なので登場人物は大体把握しているかな…というレベルでしょうか。ただ、FilmarksやTwitterでもかなり話題になっており、観てみることにしました。

■「どれみファン」の解像度の高さと「どれみ的」な演出の同居
実はこの作品「どれみ達」が主人公ではないのですよね。ウチの妹の様に「当時どれみを観て大人になった女性たち」が主人公で、それぞれ別々に"聖地巡礼"をしに来たところで出会います。現代的!と思って、観た後にインタビュー記事を読んだところ、やはり作り手はやっていたのです、「当時どれみを観て大人になった女性たち」に取材を。主人公の女の子たちはそれぞれで課題と悩みを抱えながら休みの日は「オタ活」に勤しむのですが、まぁその様子を描く解像度が高いこと高いこと。それを「どれみ」そのもののノリで勢いよく描いていくのですから、面白くならない訳がないですよね。奇跡のバランスだなぁと思います。
個人的にいいなと思ったのは「男性のどれみファン」も登場したことでした。気がつかれるくだりもあるあるだなぁと思いましたし、女性ファンである主人公達に「男の人はおんぷちゃん好きですよね~」と言わせるのはズルい!わかってらっしゃる!(自分ははづきちゃん派ですが)あのあたりの会話のやり取りはとてもリアルで、すごいなと思ってしまいました。
あとはもちろん「本家」オマージュですよね。本家を作ってきた作り手が作っているのですから「よくわかってらっしゃる」のは当然なのですが、飛騨牛に惹かれるけどスルーされていくあのくだりや「世界一可哀想な美少女なのに!」という言葉が出てくる場面は笑ってしまいました。

■日常と向き合うということ
一方ストーリーは「"魔法"を信じてきた主人公達が、自分の中の"魔法"に気がつき、悩みや課題を克服するまで」を描いていて、その結末はとても爽やかな終わり方だったと思います。ある場面で彼女たちのうち、二人がケンカをするのですが、仲直りの仕方も「ならでは」で素敵でしたね。

ただ…欲を言えば、欲を言えばなんですけど、もうちょっと本質的なところまで掘り下げても良かったのではないかなと思います。
この作品は、聖地で出会った彼女たちが「オタ活」と称して旅行をして、旅先で「物語」が新たな展開を呼ぶように話が進んでいくのですけど、そのボリュームが全体の中でかなり多いのですよね。個人的には、もっと彼女たちの「日常」が観たかったです。言い方が悪いかもしれないですけど、「日常からの逃避手段としてのオタ活」であるように見えてしまったのですよね。もちろん、日常での「彼女たちの戦い」が全く描かれていない訳ではないのですけど、「オタ活」=「非日常」のボリュームが大きいせいか、「この子たち遊んでばっかりやな!」と思ってしまうような作りになってしまっています。いや、いいんですよ?むしろいっぱい遊べばええやんと思いますし。ただ…それだったら、もうちょっと彼女たちの「日常での達成」をちゃんと描くべきだったのではないかと思います。
なぜそこにこだわるかというと、「おジャ魔女どれみ」はそういうアニメーション作品だと思うからです。「プリキュア」や「セーラームーン」とは違って、「どれみ」はあくまでも「日常での課題と向き合う話」だと思うのですよね。ある程度は出来ているとは思いますが、「生き別れたお父さん問題」あたりは、もうちょっと、もうちょっとだけ踏み込んでも良かったのではないかなと思いました。

※※

ということで、モヤモヤする部分が無くはなかったですけど、基本的にはよく出来ている作品だと思います。世代な人には刺さること間違いなしな作品でしょう。ただし「誰に刺さるか」は、ものすごく限定的な作りになっているのではないかなと思います。少なくとも「おジャ魔女どれみ」シリーズを観るにあたって、最初に観るべき作品ではないです。
世代の方はぜひぜひ。
そうでない方は「おジャ魔女どれみ」シリーズをぜひぜひ。
せーじ

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