トム

ドラゴンクエスト ユア・ストーリーのトムのレビュー・感想・評価

-
私たちはドラクエの何が好きかって、「決して私たちを子供として扱わないところ」だったんじゃないか?

年を重ねるほど思うのが、よくこんなクオリティの高いものを作ったなということ。まだゲームが子供のおもちゃだった頃から、ドラクエのクオリティは群を抜いていた。

子供の頃、なんとも思わず遊んでいたコンテンツだったけど、大人になってからよくよく考えてみると、よくもこんなに全力で良いものを作って、子供にぶつけてくれたなということ。

オーケストラ音楽も作れるような偉人が、たったの3音か4音でピコピコとクオリティの高いBGMを作ってくれるところとか。
緻密な描き込み、今までにないような斬新なデザインで人気漫画家がパッケージからモンスターから作ってくれるところとか。
ストーリーもまったく子供騙しじゃないからちょっと難しいところもあって、大人になると「そういうことだったのか!」と気づくような深さがあったりとか。

ドラクエ5といえば、まさにゲームが子供もだけのものではなくなったんだ、と感じさせるその象徴のような作品でしょう。

子供の頃はパパスがかけてくるホイミが少しうっとおしかったはずなのに、自分に子供ができると、戦闘中は子供にホイミをかけまくったりして。あ!パパスと同じことしてる自分!ああパパスはこんな気持ちだったんだ、なんて、自分の感性が動かされたりして。
子供の時はわからなかった物語が、大人になるとよく理解できるようになったりして。

映画ユアストーリーは、ドラクエというコンテンツがなぜ支持され、誰を感動させているのかを見誤った。

もはや我々は「ゲームをやるのは子供?大人?」などという初歩的な論争とはかけ離れた所にいて、ただただ、
ゲーム🟰大人が感性を動かされて当然のコンテンツ
という、それが前提の世界観で生きていた。

そこに「ゲームなんていつまでやってるんだ、おとなになれ!」と言われても、いつの時代の人だ?という感想にしかならない。

ゲームを大人のものにしたのはドラクエなのだ。
ドラクエが私たちを大人扱いしてくれたのだ。
ゲーマーを「現実逃避中の甘ちゃん」ではなく、芸術を楽しむのと同じくらい「高尚な趣味人」に引き上げてくれたのが、ドラクエなのだ。

ドラクエ側が始めたことなのだ。

だからドラクエ側が我々に対して「おとなになれ」とは、、

決して言ってはいけなかった。

ゲームなんてどうせ子供のやるものでしょ感…ドラクエ側が「ゲームなんて」と言うのは、言うなれば解釈違いなのだ。ドラクエはそんなこと言わない。

この映画が「つまらない」ではなく、「傷ついた」とこれ以上にない苦々しい表現でこきおろされる理由は、これなのだと思う。
トム

トム