Daisuke

アスのDaisukeのレビュー・感想・評価

アス(2019年製作の映画)
4.5
[そのハサミで]

※前半ネタバレ無し(一切内容について書いてません)
※後半ネタバレあり(「ここから」と書いております)


全く同じ顔をした家族が襲ってくるこの物語を、鑑賞前の私は「はー、怖かった(笑)」程度の、何も考えずに楽しめる映画なのだろうと勝手に思っていた。
この監督の前作である「ゲットアウト」も鑑賞済みで、とても面白かったものの、実は自分の中ではピンときていなかったからでもある。

8月17日。
夏の休暇で飛び立った飛行機の中で、何か映画を探していたらこの「アス」を見つけた。まさか日本公開日である9月6日より先に観れるなんてと、安易にポチりと押したところ「はー、怖かった(笑)」というライトな感情よりも「なんとスケールの大きな物語なのだろう」と感心してしまい、気になる箇所を何度も繰り返して鑑賞してしまうという暴挙に出る始末であった。

まず、襲ってくる対象が「人間」の形ではあるものの、全く同じ顔である不気味さ。しかもそれが「4人家族全員」で襲撃してくるという異質な状況に、私はドッペルゲンガー的な恐怖よりも「人間ではない何か」という恐怖が先に沸き起こった。人間ではない何かであるならば、私が真っ先に思い起こしてしまったのは80年代の海外ドラマ「V(ビジター)」だ。突如現れた宇宙船から降りてきたのは地球人とそっくりの生命体だった...、という物語。
子供の頃の私はその異様な様に恐怖を感じつつも、人間の皮を被ったその「中身」が気になって仕方がなかったのだ。
この「アス」という映画も「謎の生命体の襲撃であると仮定」するならば、その人間の皮を被った「中身」は一体何が存在するのか、そもそも彼らは一体何者なのか、という私の「V(ビジター)心」をくすぐり続けたのだ。

「アス」の中身は一体なんだ。

「アス」の皮を一枚ずつ剥がしていってやる。

その奇妙な映画の皮を剥いてみると、
驚くべきことに、

そこには「私」がいたのであった。




---ここからネタバレ-------






「ゲットアウト」と「アス」と二本見ていると、ある共通点が浮かんでくるが、構成として後半に「視点変更」と共にテーマを鑑賞者へドスンと伝えるやり方は毎度本当に巧みだなと感心させられる。
(ここで言う「視点変更」は物語る人物が変わるという意味ではなく、主人公に関わってきた「対象者側の視点」に主人公(観客も含め)がなるという事)

さらに言えば「ゲットアウト」よりもはるかにスケールが大きい作品であり、物語の出発点がミクロからマクロへと大きな展開へ広がって見せていく語り口が素晴らしい。その大きく膨れ上がった物語は「US」の通り「アメリカ」を指す事だけでなく、「私たち」鑑賞者の元まで広がってくる。

始めは襲撃者たちが家の中へと襲ってくるが、家族それぞれに分かれて逃避と撃退を行なっていき、と同時にその規模がかなり大きいものだと判明していく。
この段階でもまだ「赤い制服」と「同じ人間」という事しかわからないため、宇宙人や未知の化け物という説もまだまだ残っているため謎の大きさは膨れ上がっていく。
しかし、地下へと降りていく事でついに真相が明らかになる。政府が作ったクローンであり、しかも捨てられた者たちだったということがわかる。
本来こういった未知なる者の正体が判明すると一気にトーンダウンしてしまう傾向があるが、そうならないのは「アメリカ」という国の広がる格差を暗示させ、クローン達はそのアメリカという国に見放された者を具象化させ象徴的に見せていたからだ。
この格差問題はアメリカだけでなく、もちろん今の日本もそうで、世界中で起きてる事に直結している。

「アス」の感想を見てて格差社会への批判というテーマ以外の事に触れている方があまり見当たらかったのであえて書くが、個人的には格差の問題の前に「勝手に生み出し、捨てること」のクローンへの傲慢さこそが、この映画を見てて最も哀しく苦しく思った部分であると言っておきたい。
彼らクローン達は「環境が違っていれば」と苦しみ、革命への狼煙をあげるが、そもそもとして「生命倫理」という観点に目を向けてほしいと思ったりしたからだ。

とはいえ、
私たちには生まれる生まれないは選択できず、気がつくとそこに生まれ落とされている。その「環境」が後の人間形成へと徹底的に影響を与えていく。

あの地下は国から見はなされた者たち、そして「人間ではないもの」として捨てられた者たちの象徴だ。
地下では様々なものを与えられていない事がわかるが、彼らがまともな言葉を話せないのは「教育」を受けさせてもらえないからであり、地下の息子の酷い火傷跡はまともな「医療」を受けていないと見る事ができる。「教育」「医療」これらが行き届いていない経済格差を生んでいる「環境」が世界中にある事を伝えているように見える。

これだけでも驚くべき情報量が内包された作品であるにも関わらず、最後にさらに捻りを持ってこられたので「参った」と心の中言ってしまった。
実は子供の頃に「地上のアデレード」は「地下のアデレード」と入れ替わっていたという驚愕のラスト。
つまりずっと我々が見てきたアデレードは最初から地下施設出身のアデレードだったのだ。
これはただのトリッキーな仕掛けではなく、見ていた視点がぐるりと変わり、環境こそが人を作るという視点「人と環境」という物語で見てきた私には、これ以上ないほどの強度を持って迫ってきたのだ。

何気なく暮らしている自分もまた、いつかどうしようもない現状へと送られてしまうという恐怖があったからであり、それ以上に、そういった環境にいる人に対し「何も感じず、アクションも起こさなかった自分」と向き合ってしまった。

私の目の前には、偽善的で愚かな自分が、
そこに立っていた。

後に監督のインタビューを読んでいたら、
今作の印象的な「ハサミ」は「2つの刃、左右対象の構造」であり、象徴的な「二重性」を表しているとの事だった。

おそらく彼女がハサミを使い本当に切りたかったのは、「もう一人の自分」や「上位の誰か」ではなく、「教育」も「医療」も受けられない格差社会が広がる

「負の連鎖」

そのものを断ち切りたかったのだと
そう思っている。
Daisuke

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