開明獣

ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえの開明獣のレビュー・感想・評価

5.0
「大きな横たわる裸婦」は、ピカソが1942年にパリのアトリエで4ヶ月をかけて描き上げた大作だ。来年の1月まで上野の国立西洋美術館で開かれている、ベルリン国立ベルクグリューン美術館で観ることができる。余談ながら、ピカソを中心としてパウル・クレーやマティス、ジャコメッティも堪能出来る素晴らしい企画展だった。

固く拳を握りしめ、捻れて横たわる身体をキュビズムの技法で描いているその絵は、暗い色ばかりが使われ、死と隣り合わせだった、当時のピカソの生活の恐怖が表されている。

ナチスは芸術品を国家権力にものを言わせて簒奪しまくった。古典主義の写実的な絵を是とし、印象主義以降の絵を堕落と見做し、非とした。1938年には、退廃芸術展を開き、ピカソやパウル・クレー、マルク・シャガール、オスカー・ココシュカ、一時は私の大好きなフランツ・マルクの絵まで(第一次大戦での英雄と認められて後に撤回)侮蔑的な手法で展示され、「こんなものは芸術ではない!」と徹底的に蔑まれ嘲られた。表現主義の代表的な画家、エルンスト・キルヒナーは退廃芸術と見做されたことに衝撃を受け自死してしまった。ナチスが芸術に残した惨たらしい爪痕は今も消えないで残っている。

ピカソはナチスの侵攻時には、ボルドーの近くに疎開していた。アメリカやメキシコに渡る手立てを斡旋してくれる知人もいたというのに、彼はナチスの占領下にあるパリに戻って行く。後にピカソは、「決して英雄的な気持ちではなく、とにかくそこに居たかったんだよ」と述懐しているが、前述の絵を見れば分かる通り、死を覚悟していたに違いない。死と直面する恐怖すら自分の作品に取り込もうとしたピカソの画家としての執念は常人には理解出来ない恐ろしいばかりのものだ。

パリでピカソは作品を発表することを禁じられ、ゲシュタポの監視下に置かれた。フランス人の画家で、フォービズムのモーリス・ド・ブラマンクは、ピカソを「フランス絵画を駄目にした張本人」とこきおろし、詩人のジャン・コクトーは、ヒットラーお気に入りの彫刻家を褒めちぎった。

いつ殺されてもおかしくない状況下で、この作品にも出てくる有名なエピソードがある。ゲシュタポがピカソのアトリエに巡回に来て、あの反戦をモチーフとした名高い「ゲルニカ」のポストカードに目を止めた。ゲシュタポの1人が、「これはあなたの手によるものか?」と聞くと、ピカソはこう答えたという。

「違う。これは君たちの手によるものだ」

ピカソが時代を超えて理解され支持される理由の一つが上記のエピソードにある。

不当な手段で、60万点以上もの美術品が簒奪され、今なお50万点は行方が知れていない。当時、多くのユダヤ人が出国ビザを手に入れるために美術品を売ったという。売れるような美術品を所有していたのはほんの一握りで、600万人もの人間が大量虐殺の犠牲になった。

本作では、このレビューに書かれてないことが中心に紹介されている。ナチスドイツがいかに非道な強奪を行い、それを奪還する試みがなされたのか、ホロコーストの歴史と共に紐解いてみることは、人類の歴史にとって益のあることだと思う。

イタリアの至宝、名優トニ・セルヴィッロのナビゲーションに導かれ、芸術の持つ意義と力について考えさせられる作品。
開明獣

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