デッカード

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのデッカードのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

1920年にオクラホマ州で起こったネイティブ・アメリカン連続殺人事件に関わった白人男性を描くクライム・サスペンス。

アメリカ政府により故郷のミズーリを追われ、オクラホマに移住させられたネイティブ・アメリカンのオセージ族。
しかし、そこで油田を発掘し採掘権を持ったことで豊かな生活を得ることになる。
その豊かさゆえに石油の利権を狙う白人たちがネイティブ・アメリカンの人たちを次々に殺害していく姿は理不尽だし殺された人の数を考えても大事件なのだが、アメリカ人でさえこんな事件があったことを知らない事実が重くのしかかってくる。

ネイティブ・アメリカンの女性と結婚して石油利権を手に入れようと犯罪に手を染めていくアーネストの姿を、レオナルド・ディカプリオが複雑な演技で魅せる。
愛と金の間で揺れ動きチグハグで矛盾した行動を取り続けるアーネストは、単純な悪人として描かれることはなく生身の人間としてリアル。

オセージ族の人々には善人ぶりながら、彼らを何のためらいもなく殺していくアーネストのおじ・ヘイルをロバート・デ・ニーロが演じているのだが、老獪きわまる演技で実に憎々しい。
一時期落ち着き始めたかな?と思えたデ・ニーロが、歳を重ね丸くなるどころか、『ジョーカー』、『アイリッシュマン』、そして本作と今になって気を吐いているのは心強いし見事。

本作は歴史劇なのだが正統派のクライム・サスペンス映画としてしっかりと作られていて、3時間半の長尺だが長さを感じることなく最後まで犯罪ドラマとして引き込まれる。
犯罪シーンで同じリズムの曲が繰り返し淡々と、そして延々と流れる劇伴も緊張感を高めていて効果的。

後のFBIになる捜査機関が登場してから犯罪が次々暴かれ、アーネストとヘイルたちが追い詰められていく展開も息を飲む。
アーネストは妻モリーに言い訳のしようのない事実を突きつけられ絶句するのだが、彼に本当の後悔はあったのか?彼の矛盾だらけの行動ゆえ複雑な気持ちになってしまった。

その後、犯罪者たちがどんな罰を受けたのかに興味があったのだが、突然場面が転換しスコセッシ監督自身が出てきて寸劇として語られる"事実"にはがっかりした。
さすがに実話ベースなので『ウインド・リバー』(これも実話ベースの映画なのだが)のようなラストはないと思ったが、あまりの呆気なさには愕然。
主犯のヘイルは金とコネを使ったとはいえ恩赦され介護施設で穏やかに死に、バイロンとアーネストも恩赦で釈放され普通に生活していった。
鑑賞者を茶化したような演出の寸劇で語られるそんな「その後」は、悪人たちにそれなりの罰がくだされるのではないかと思っていた観る者の期待を大きく裏切ってしまう。

本当にスッキリしないラストなのだが、実はむしろそんな感情を引き出すことこそがこの映画の肝で、あえて茶化した感じのラストで語られる現実こそがネイティブ・アメリカンに対する当時の白人の蔑視を雄弁に物語る。

「ネイティブ・アメリカンを殺したからといって罪に問う必要があるのか」
「そもそも白人より豊かになったネイティブ・アメリカンこそがけしからん」
そんな言葉さえ聞こえてきそうな結末が当時のアメリカ社会の当たり前の空気感として伝わってくる。
それは西部劇でインディアンが必ず悪役として描かれ次々にやっつけられ、それに何の抵抗もなかった時代の人々の当たり前の常識だったのだろう。
この事件がアメリカ犯罪史の中で現在に至るまで完全に風化しているのは、少なくとも当時のアメリカ社会でのネイティブ・アメリカンの命の軽さを表しているように思う。
また、この事件がそもそもの白人が先住民族にしてきた侵略行為の延長戦上にあるものだし、征服の縮図として描かれているのも事実だと思う。

ともすれば完全に忘れ去られてしまったであろうこの事件を記した原案をスコセッシ監督に持ち込んだのはディカプリオらしいのだが、こんな理不尽な歴史をしっかりと記憶に残そうとしたディカプリオとスコセッシ監督の思いには強い悔恨と未だに完全には消えていないネイティブ・アメリカン蔑視へのきびしい批判の意思が見て取れる。

『ソルジャー・ブルー』から始まり『ダンス・ウィズ・ウルブズ』など白人側からネイティブ・アメリカンの現実が描かれた作品は過去にもあったが、本作はネイティブ・アメリカン側の視点から彼らが受けてきた理不尽な征服と蔑視の歴史をしっかりと描いた作品として映画史に残るだろうし、これからの新たな試みへの転換点になり得る作品だと思う。
必見の佳作。
デッカード

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