夕

さよなら、退屈なレオニーの夕のネタバレレビュー・内容・結末

さよなら、退屈なレオニー(2018年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

何もかもが気に入らなくて、周囲の人間もみんな嫌いで、親や世間を見下して挑発するくせに、結局その庇護下でしか生きていけない弱くて真っ直ぐな青年期の物語。
レオニーは、母親と母親の恋人のポールの豪邸で暮らしている。彼女の住む入江の街は、その昔工場と組合の大きな対立があり、レオニーの父親は組合のリーダーだった。人格者である父親は、皆のためにと会社側の不当な扱いに真っ向から闘うが、結局は孤立していき彼女が幼いうちに街を出ていくこととなる。大好きな父親を追い出したラジオやマスコミ、なんてことないような顔して生きてる街の人々、というより日常に対してレオニーは憎しみを抱いて成長していく。
オープニングのレオニーの姿が印象的だった。ポケットに手を突っ込んで、ヘッドホンをつけて、うつむき加減に早足で街の中を歩いていく。ただ歩いているだけだけど、この子は世の中のことが嫌いなんだなって一目見ただけで分かった。
この映画は、レオニーの「つまらない」って表情が最高に良かった。家がつまらない、学校がつまらない、バイト先がつまらない、友達との集まりもつまらない。父親とスティーブと一緒にいる時だけは自然体でいられる。セリフよりも登場人物たちの表情が雄弁に語っていた。
最初の方に意外に思ったのは、レオニーにも頼れる大人がいたこと。これだけ世界が嫌いなのに、父親の前ではただの一人の少女で、とてもリラックスした姿を見せてる。父親が大好きだったから、その父親を奪った世界が許せなかったんだな。だからこそ、この大人すらも失った時、彼女は耐えきれないんじゃないかなと少し危機感も感じた。
反発心の塊のようなレオニーが出会うのは、孤独なミュージシャン、スティーブ。レオニーよりも歳上で、母親と犬と暮らす家でギターを教えて生計を立てている。普段は地下室の自分の部屋に好きな音楽と一緒にこもっている。
スティーブのギター講習に通いながら、犬の散歩中に、2人は色んなことを話す。街のこと、自分の家庭のこと。その中で出た表現が好きだった。入江は中から見たら開けてるけど、海から見たら袋小路。井の中の蛙大海を知らずみたいな言い回しだけど、もっと閉塞感があって世間知らず感が強い。
レオニーのスティーブへの感情は、私はあくまでも同族意識であり親愛の情だと思う。同じく世界に馴染めない孤独を分かち合える相手として、スティーブの傍は心地いい。父性を求めてるレオニーにとって、黙って一緒にいてくれるスティーブは半分父親みたいな感じだったし。ただ、親愛の情と恋愛感情の区別がつかずごっちゃになっていたんじゃないだろうか。
卒業パーティーの夜、スティーブをライブへと連れ出したレオニーは今夜は自分の卒業パーティーの日だと告げる。その時のレオニーの表情は、ほんとに良かった。多分、元々本人も言うつもりではなかったんだと思う。でも、言葉とか、感情がこぼれてしまった。頭では言うつもりはなくとも、心はやっぱり隠し通せない。言ってしまって何になるでもないけど、そういう瞬間って誰にでもあると思う。ただ、こぼれてしまった感情って人に受け取ってもらえないことも多い。こぼれたままの感情のいき場所を見失う時、人は本当に傷つくから。レオニーにはスティーブがいてくれて本当に良かった。
スティーブもスティーブで、その晩は自分の孤独と見つめ合うこととなる。ミュージシャンとしての腕はあるのに、グループを組めずソロでしか演奏できない。好きな音楽に溢れている地下に閉じこもって、外界との繋がりを絶っている。目の前のバンドの演奏を何も言わず、無言で見ていたスティーブは一体何を考えてたんだろう。
スティーブと一緒にパーティーに行ったレオニーは、結局その場に馴染むこともできずに早々に抜け出す。気持ちがぐちゃぐちゃで、誰かにそばにいて欲しくて、初めて自分からスティーブに触れる。それまで2人はあくまで一定の距離感を保ち続けてたのに、僅かな隙間もないくらいレオニーはスティーブに抱きつく。でも、スティーブはレオニーを抱かなかった。彼自身も心の柔らかい部分をつつかれた夜だったということもあるけど、何よりスティーブにとってレオニーは未成年の子どもで、性的な対象ではない。翌朝目を覚ました時に、1人スティーブのベッドで起きたレオニーは、近くのソファーで眠るスティーブを見て憤る。それはスティーブの誠実さを表しているけれど、レオニーからすると自分は彼にとってまだ子どもで、対等な関係では無いというのをまざまざと感じたんじゃないだろうか。
そんな感情穏やかでないレオニーも父親が一人の人間であることを知る。彼女にとって父親は、ヒーローで、拠り所で、絶対的な存在である。その父親が母親のことを殴ったことがあると知りひどく動揺する。それこそ天と地がひっくり返ったような衝撃だろう。彼女は、父親という絶対的な支えを失ってしまう。父のレオニーに対する愛は変わらない。ただ、レオニーの見方が変わっただけだけど、二人の関係性は今までどおりとはいかないだろう。
私は、人間が大人になることの1つの条件は、親も一人の人間であることを認識することだと思っている。大人になるというと曖昧な表現だけども、子どもと大人の間の線引きと言った方が良いかもしれない。そういう意味では、レオニーは世界が揺らぐような悲しみと引き換えに成長できたのだと思う。成長を喜びと捉えれるかはその人次第だけど、彼女は入江から少し海に出られたのだ。
ラストはそれぞれとても良かった。父親は、短い休暇が終わり、また労働の旅に出る。
スティーブは亡き母の部屋に住処を移す。彼が地下から陽の当たる場所に出られたのは大きな進展だと思う。母の面影の残る家で、犬と2人だけの生活が始まる。
レオニーの明確な未来は、映画内では明かされない。でもそれでも、人はどこへでも行けるんだって示唆してくれるような希望のある終わり方だった。
あんなかわいい子に、まるで昔の私みたい…とまで言い切る度胸はないけれど、レオニーの気持ちにはなんとなく通ずるところがあった。世の中という漠然とした何かが嫌いで、同世代の人間にも上手く馴染めなくて、でもそんな風に上手くできない自分が何より嫌い。私の場合は、色んなものを嫌い続けている間に年をとってしまった。レオニーのように上手く言葉にできない苛立ちや悲しみは折り合いをつけられずに今もあるはずなのに、小手先の処世術でまるで上手く生きてますっていう風に取り繕っている。
ただ、葬儀の場面で思った。人は、たとえ同じ種類の寂しさを抱えた人間でも100%分かり合うことは出来ない。でもそばにいて、寄り添い合うことは出来る。男女とか大人と子どもとか、そんなこと関係なしに。それで十分なんだと思う。
夕