せーじ

駅までの道をおしえてのせーじのレビュー・感想・評価

駅までの道をおしえて(2019年製作の映画)
2.9
238本目は、シネスイッチ銀座で鑑賞。
四割~五割くらいの人出。年配の観客が多かった気がする。

夏。8歳になるサヤカは、友達のように大好きだった愛犬、ルーが突然いなくなってしまったことを、まだ受け入れられずにいた。そんなある日、サヤカはひょんなことから出会った野良犬に導かれて、学校の近くにあった喫茶店のマスター、フセさんというおじいさんに出会うが―というお話。

観ていて自分は、菊田まりこさんの「いつでも会える」という童話を思い出した。主人公にとって大切だった存在が突然失われてしまい、そのことについて受け入れることが出来ない主人公が苦悩する…という意味では、この作品とよく似た内容であると思う。(ただし「いつでも会える」は、この手の内容の物語としては一か所盛大にオリジナリティ溢れる設定があるのだけれども、ここでは敢えてそれには触れないでおく)
ともあれ最終的に「いつでも会える」では、主人公は自分自身の記憶を手掛かりとして、失った存在を自分自身の心の中に住まわせることで悲しみを乗り越えて終わるのだが、果たしてこの作品はどうだったのかというと…実に中途半端な形でそれを終わらせてしまうのだ。

(ここからこのレビューは少しづつ雑になっていくのでご注意ください)

自分が一番ムカついたのは、「別れ」の悲しさ切なさを繰り返し描いておきながら、それだけで物語を済ませてしまっていたところだ。
そりゃ、年端もいかない可愛らしい女の子が犬と仲良くしていていきなり理不尽に引き離される様子を見たら、誰だって悲しむに決まっている。同様に、ダンディなおじいさんには実は昔亡くなった息子がいて…なんて話を聞いたら、気の毒に思わない人なんていないだろう。そして、女の子がそうして知り合って仲良くなったおじいさんとも…なんていう展開があったら、泣くに決まっていると思う。

でも、大事なのは「別れ」そのものだけではないはずなのだ。

「いつでも会える」がそう描いている様に「そこから先、残った自分はどう生きるのか」も重要であるはずなのだ。それがこの作品では全く描かれていない。
加えてこの作品、有村架純さんが主人公のモノローグを担当しているのだが、1から10まで心情や状況を説明してくれちゃうので、作品の奥行きが狭いこと狭いこと。そのくせひとつひとつの場面を意味も無くダラダラと撮り続けていくので、作品に全くメリハリが無く、冗長すぎてげんなりとしてしまった。
90分くらいでタイトにまとめた方が良かったのではないだろうかと思う。
そして、クライマックスに出てきた"駅"と"電車"の描写がなんともチープだったし、乗っていた人たちが全員真顔で変にギャグっぽく見えてしまうしで、観ていた自分は怒りを通り越して呆れ果ててしまった。しかも"駅"で"電車"の別れを見送った後に、あろうことかサヤカは「ありがとう」と言って、勝手に癒されてしまい、そのまま映画は終わってしまうのだ。観ていた自分はそんなのって…許されねぇよ!と思ってしまった。これを良しとした作り手のセンスって一体…と思わざるを得ない。

※※

ということで、この作品を劇場で鑑賞するならば、同じような題材の「いつでも会える」を読みなおした方が、ずっといいと思ってしまいました。
ちょっと自分には、合わなかったです。
あ、主人公である新津ちせさんの演技は良かったです。
せーじ

せーじ