ヒロ

椿なきシニョーラのヒロのレビュー・感想・評価

椿なきシニョーラ(1953年製作の映画)
3.7
よくある映画内映画モノ、如何にして芸術が商業に喰われるのか?如何にして芸術の精神と世論の奴隷が衝突するのか?な映画の裏側は本当に笑えないがそこは割り切って笑い飛ばして、結局行き着く先は愛の伝道師アントニオーニ。どうしてもスタッフクレジットに目が行って見逃しがちなファーストカットが全てを物語っていた。映画館の前の道路を行ったり来たり行ったり来たり、、、劇中の愛の矛先は反発し合う磁石のように一方がNになればもう一方もNにもう一方がSになれば一方もSに、こちらを焦らすように決してくっ付いてくれない、それはこの世の真理。“幸せは来ていることに気付かないぐらいじんわりやってくる、でも不幸はとてつもなくはっきりやってくる”と心の師三木聡は言っていたがまさにそれ。周りにチヤホヤされつけあがって好き放題気付いた時に賞味期限はとうに切れ、涙ながらにポルノスター。あぁ、椿なきシニョーラ。そんな時代もあったねといつか話せる日が来るわ、と中島みゆきが言うように君が諦めるにはまだ早い、いつの日か“クララが立った”とハイジに言ってもらうその日まで。

裁かるるジャンニな前半を乗り越えての転げ落ちるクララな後半の巻き返しが凄まじい、演劇的なツーショットの撮り方がどこからどう見ても遣る瀬無き男、日本の誇り、と思ったら成瀬の方が後だった。

《新文芸坐シネマテークvol.21 知られざるアントニオーニ》
ヒロ

ヒロ