茶一郎

モンパルナスの灯の茶一郎のレビュー・感想・評価

モンパルナスの灯(1958年製作の映画)
3.5
これは一人の画家の生涯を通して、「芸術」VS「商業主義」の勝敗を描いた作品だと思った。

 第一次世界大戦後のパリ、モンパルナス、前衛的天才画家モディアーニの絵は全く売れず、本人は酒に溺れる日々を送っていた。この主人公モディアーニ(モジ)の元には女性が何人もやってきて、彼の貧困画家生活生活を支えようとする。その中でも、デザイナーを目指す美大生ジャンヌと出会いは運命だった。
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 とにかく主人公モディアーニ扮するジェラール・フィリップの男も惚れるカッコよさ、ジャンヌ役アヌーク・エーメの凄まじい美しさは一見の価値がある。モノクロの世界で主人公に恋する女性全員が見とれる程の美しさ。
 彼ら男女の運命的な恋愛をベースに、芸術家である主人公のほとんどヤサグレと言ってもいい葛藤が描かれていった。

 芸術作品の価値はその作品自体にある。批評や、ましてその作品につけられた値段で作品の価値が決まるなんて不健全。そんなことは分かっているが、それでも絵を描く画家の腹は減る。飯を食うためには、画家も金を稼がなければならない。こうして、「芸術」と「金」、本来、別の次元にあるはずの二つのものが一直線に並んでしまう。

 絵が売れない。主人公はどんどんと貧しくなっていく。主人公の才能を信じる画商、妻ジャンヌは彼を支えるが、とことん絵が売れない。
 主人公の元に訪れるのは、彼の絵をコマーシャルに使おうとするアメリカの大富豪、芸術をビジネスとしか見ていない画商。主人公は、彼ら芸術を商業利用とする輩を徹底的に蹴る。それは芸術家としての信念を曲げない強い意志であると同時に、妻ジャンヌたちの支えを無下にするような行為でもある。主人公は、ますます貧困になり、ついに「金」に対してある行動をした。
 ジャンヌの立場になれば切なく、主人公の苦渋の最後の行動も心を突き刺してくる。今作では現代も色濃くある、とても普遍的な「芸術」VS「商業主義」の戦いに一つの終止符が打たれている。

 そして、背筋が凍るほどの絶望的、悪魔的なラストシーンである。ここでのセリフから分かる、彼女が最後まで金銭的な面ではなく主人公を支えていたというその美しさ、何よりジャンヌの喜びに満ちた表情が、真実を知れば知るほど心を締め付ける。もう窒息寸前。

 ちなみに現実では、主人公モディアーニの死の二日後、ジャンヌはモジを追うように投身自殺をしている。お腹にはモジの子どもがいたそうだ。
茶一郎

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