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Yomeddine(原題)
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『Yomeddine(原題)』に投稿された感想・評価

[ハンセン病患者のありふれたロードムービー] 40点

昨年のカンヌ映画祭でコンペに選出された作品はほとんどキノフィルムズが買ってくれたわけだが、エジプト人監督の初長編作で評価も微妙だった本作品だけは買い手が付かなかった。4月にフランスでDVDの販売を確認して以降英語圏での音沙汰もなかったのだが、偶然トルコ航空に乗った際に機内エンタメで発見したので遂に鑑賞。これでコンプへの最大の障壁は『万引き家族』を観る気になるかどうかになったぞ!!

エジプトでは"コロニー"と呼ばれるハンセン病患者を収容する土地があり、主人公のBeshayもその患者の一人だ。本作品の始まりであり終わりでもあるこの設定が、その後のありがちなロードムービー展開に別のゴールを加えるかというとそういうわけでもなく、顔だけ隠して手は隠さずの状態で健常者のふりをしてやりすごしたり、あるいは顔を隠していない状態でも都合の良いときだけハンセン病患者であることが絡んできたりとやっていることはあべこべになっているため、"自分を棄てた家族に会いに行く"という基本設定をスタートさせる材料としてしか考えてなかったのではと疑ってしまうほど。唯一普通に接してくれた孤児の少年オバマとの友情も終盤になるまで最終的な段階には至らない。旅に出てから物語が動き始めるまでが非常に遅く、そこまではどうでもいいエピソードを並べているだけなのは残念。オバマくん負傷のくだりとか、Beshay逮捕のくだりとか、良い想い出でしたで締め括るには難がありすぎるだろうよ。

退屈な90分(フライト時間が短くなった都合上途中の会話を少し飛ばした)の締め括りは一応爽快な人生讃歌にはなっているものの、正直ご当地ほっこり映画の域は出ないし、カンヌのコンペに並ぶのは奇跡と言っても過言ではない。内容と製作国見て世界中がそっ閉じしたんだろう。

ウェルメイドではあるが、既視感を覚えると退屈してしまう私にとっては地雷だったようだ。既視感のある映画は作りやすいが記憶には欠片も残らないので好きじゃない。せめて点数下げて罪悪感で覚えておこうというのが私の思いである。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

2.0
【ハンセン病患者と少年の旅、時折《手錠のまゝの脱獄》にやっすい着地点】
第71回カンヌ国際映画祭(2018)コンペティション作品コンプリートまであと2作に迫りました。一つはステファヌ・ブリゼが『ティエリー・トグルドーの憂鬱』を別視点で撮り直したような『En guerre』。もう一つはエジプトから現れた謎の映画『Yomeddine』だ。誰しもが、本作のコンペティション選出に首を傾げた。誰もA・B・ショウキーという人物を知らなかったからだ。大抵の場合、特にカンヌ国際映画祭の場合、《ある視点》部門や監督週間で注目された監督が出世してコンペティション入りを果たす。なので一見聞いたことのない監督であっても、経歴を調べると何らかカンヌで実績を積んでいたりする。しかし、彼は短編映画を数本撮っただけ。しかもそれらは有名映画祭にノミネートすらしていないのだ。そしてこの作品はニューヨーク大学ティッシュ芸術学校のプロジェクトで作られた作品なのです。形は少し違えど、日本に例えるとENBUゼミナールや芸術大学の卒業制作がそのままカンヌ国際映画祭コンペティション入りを果たしたという事件なのです。

A・B・ショウキーはオーストリアからエジプトに移住した勤勉な母親の下で育った。中東のインディーズ映画からヒッチコックまで満遍なく魅せられ、幼少期から映画の英才教育を受けて育った彼は一旦は作家になることを志すが、やがてニューヨークに渡り映画の勉強をした。そこでハンセン病療養所に関するドキュメンタリー『El Mosta'mara』を撮り、そこから『Yomeddine』のアイデアを膨らませた。

本作の主演であるRady Gamalは『El Mosta'mara』で実際に監督がインタビューした人物である。最初は、取材で最初にあった人物を主演にするのには抵抗を感じたのだが、本能で「この人だ!」と思いキャスティングしたとのこと。こうしてできあがった、インディーズらしさむき出しのほとんどドキュメンタリーに近い作品は、カンヌの中東/ アフリカ枠である『存在のない子供たち』と激突した。その結果は、どちらもフランスの映画メディアに強く非難された。『存在のない子供たち』は感動ポルノ的側面を非難された一方、こちらは映画としての飛躍が見受けられない陳腐な演出を中心に非難された。

日本では、エジプト映画ということもあり全く公開の目処が立たない本作ですが、意を決して観てみました。

意外なことに、検閲か何かに怯え《逃げ》の撮影が目立っていた『存在のない子供たち』と比べると、映画的ヴィジュアルの面白さの面で圧勝でした。ゴミの山に佇む、ハンセン病患者Beshayを遠くから撮ることで如何に社会の隅に追いやられているのかを強調することに成功している。そして、移り変わるフィールドを、ボロボロの台車を備え付けたロバでゆっくりガタガタ前に進む彼のインパクトは嫌でも脳裏に焼きつく。赤い手の模様がペタペタと付いた壁、に建物の陰を使った救いの手を差し伸べる場面など、画になるシーンが沢山あり面白い。

だが、何だろう。鼻につくのだ。そしてその正体を探っていったところ、ある作品との共通点が浮かんだ。それはミシェル・アザナヴィシウス監督の『アーティスト』だ。自分映画知ってますよとアピールするのだが、それが表面的で、臭みが出てしまっているあの感触がここにはありました。

ゾッとするような容姿のBeshayが妻を失い、自分を棄てた親を探しに冒険に出るのだが、人懐っこい少年がついてくる。これは冒険物にありがちな、お調子者キャラの登場という定石を踏んでいるのですが、どこか障がい者と子どもで高評価を得ようとするあざとさを感じてしまう。そもそも、ハンセン病患者でなくてもこの物語は成立するのでは。おじいさんと子どもの旅に翻訳できてしまうところに問題があると思う。

そして、この手の映画に必要なアクシデントを入れてくる。そこにユーモアも織り交ぜていく。『手錠のまゝの脱獄』のオマージュにミュージカルシーンも入れていくのだが、そういった描写を入れる度にどんどん《ハンセン病患者と差別》というテーマが薄まっていく。お涙頂戴的に終盤、思い出したかのように《差別による羞恥心》を描いていくのだが、そこにはもう必然性がなくなってしまっていた。また、それ以前に多くのロードムービーで描かれてきた定石を並べているだけなので、カンヌ国際映画祭コンペティション部門ノミネートという大舞台に立てるほどのユニークな切り口が無いという最大の問題をこの作品は抱えていました。

その点、『存在のない子供たち』は予想できない展開があるので軍配はこの作品に挙がりました。

正直、この映画よりもセルゲイ・ロズニッツアの『Donbass』やビー・ガンの『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』がコンペティションに入るべきで、本作は《ある視点》部門や監督週間で闘うべき作品だと思いました。
Kazu

Kazuの感想・評価

3.8
エアロフロートの飛行機にあった唯一のアラブ系の映画だったので鑑賞。エジプトのハンセン病患者が治癒後も隔離されたコミュニティから抜け出して、自分を捨てた父親に会いに行く話。なぜかなついた捨て子の養子と繰り広げるドタバタなロードムービー。単調な前半とは裏腹に、絶望の果てと思われた先に人間としての尊厳を結果的に見つけ、Beastと呼ばれ差別されてきた人生から、顔を上げて胸を張って生きる自信をつける旅。最後に心温まる話。