【屋根もなく、法もなく/楽に生きたい】
この作品は、抽象的な言葉や大きな賞を取ったことを背景にした美辞麗句より、自分自身をモナや、モナについて語る人に投影させるような作品ではないかと思う。
過去の作品を見返すと、当時は気が付かなかったり、考えたりしなかったことを思い浮かべることが多くある。
「チャップリン・フォーエバー」で短編を含めて17作品を観たが、観返すことになった主要な作品でさえそうだった。更に、時間を追ってレビューを書いていくうち、チャップリンが何と向き合っていたのか、それは一義的には時代でもあるのだが、自分自身と向き合い葛藤していたことこそが重要だったのではないかと思わされた。
この「冬の旅」については、ベネチア国際映画祭で金獅子賞を取ってから約5年ほど経ってからの公開だった。円高不況と言われながらも、バブル景気に向かう途中で、こうした女性の行き倒れが主人公の作品は興行的に厳しいとの見方があったのだろう。
更に、映画の邦題タイトルは、シンプルな表現となり、映画のヒントにもなるはずの「屋根もなく、法もなく」は跡形もない。せめて、副題で残せばよかったのにだ。
この作品でヒントになるのは、もう一つ、モナが何度となく発する「楽に生きたい」という言葉だ。
だが、モナは決して楽に生きているようには見えない。空腹や寒さを必死でしのがなくてはならない。
ただ、「楽に生きたい」という考え方に賛同出来ないのは分かるが、僕たちは「楽に生きたい」という気持ちを持ったことはないだろうか、そんな気持ちに揺らいだことはないだろうか。
そんなことではいられないと、いつ気が付いただろうか。
誰かに教えてもらったからだろうか。
それはきっと、葛藤もあっただろうが、たった一人でたどり着いた答えではないはずだ。
僕たちはいつの間にか、自分自身で気が付き理解しているように思っているが、そんなことはないはずだ。
そうしたことを振り返るために、重要な存在だったのが、モナにかかわった人の中で最後までモナに気持ちを寄せていた教授だったのではないのか。
モナだけではない。若者は現状や将来を絶望して彷徨うことがある。僕たちだって多かれ少なかれ、程度の差こそあれそうだったではないか。
この作品は、モナが極端なのだという視点では共感できないのではないか。
社会のありようも気にかけたくなる。
「イントゥ・ザ・ワイルド」で、クリスが最後に書き残した言葉「幸福とは誰かと分かち合って分かること」を思い出した。
この言葉に涙した人は多いはずだ。
もしかしたら、僕の間違いかもしれないが、モナが倒れこんだくぼみは、農夫が草を燃やしていた場所ではなかったか。
あそこは、かすかに温かさが残っていたに違いない。
人は温かさを求めるのだ。
女性が漂流するという抽象的なところに目が行きがちだけれども、もっと普遍的なところにテーマがある作品だったように思う。