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ソウルメイト/七月と安生のひこくろのレビュー・感想・評価

ソウルメイト/七月と安生(2016年製作の映画)
4.7
伏線や対比、物語の構図など、非常に凝った仕掛けを用いながら、圧倒的なまでに情感溢れる世界を描き切った、すごい映画だと思った。

自由奔放で何をしでかすかわからないが屈折もしている安生【アンシェン】。
素直で優等生的ないい子だが、そんな自分に苦しんでもいる七月【チーユエ】。
生き方も望むものも、まるで正反対の二人は、どうして互いに惹かれあっていったのか。
その様子が、まずは、幼少期の出会いの頃からじっくりと描かれていく。

そして、成長した二人が送る青春時代に話は移る。
ノリノリで人生を楽しみながら、お互いの大切さを嚙みしめる二人。
そこに、七月の恋人、家明が現れ、事態は変わっていく。
三角関係のなかで、互いの持つ意味や、一緒にいる理由が徐々に見えなくなっていく。
そして、別れ。

数年後、再会してからは、さらに二人の対比が鮮明になる。
それまでは認めあえて、むしろ憧れにも近い存在だった、互いの価値観がぶつかり合い、しまいには相手を罵倒し否定しあうまでに至る。
二人の関係が、決して交われない、異質なものとなってしまうその様はあまりにも残酷だ。

その後も、二人の関係性の遍歴が丁寧に丹念に綴られていく。
ただし、この映画が面白いのは、その二人の過去の話が、現実の記憶かどうかわからないところにある。
映画の冒頭で明かされるように、これは安生が読んでいるネット小説「七月と安生」の内容、という体裁を取っている。
だから、本当に起こったことなのか、事実なのか、という保証は一切ない。
いま観ているこの二人の話はすべて虚構かもしれない、という感覚はあまりにもスリリングだ。

それでも、七月と安生の対比と、お互いが惹かれあい、憧れあい、憎しみあった関係性は確かにあったはず。
そう信じて、映画を観続けて(ネット小説を読み続けて)いくと、やがて観客(読者)は、この仕掛けの数々の理由と対峙することになる。
なぜ、このような形で物語が描かれているのか。
「七月と安生」の本当の作者は誰なのか。
なんのために、このネット小説は書かれているのか。
二人は結局、どうなったのか。

すべての謎は仕掛けそのものに仕組まれいる。
そして、その謎の正体もまた、仕掛けを通して明かされる。
この手管の見事さが美しい。
しかも、そのテクニックの背景に、最初からずっと描かれてきた七月と安生という二人の女性の対照的な世界観と、生き方、お互いの存在の意味、などが圧倒的な情感をもって描かれてるのが素晴らしい。

映画の技法と、描き出す内容の質が、ここまで高い次元で融合しあうこともそうそうないだろう。
デレク・ツァンの奇跡的なテクニックと情感の融合を、思いきり堪能させてもらった気がする。
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