Daisuke

ハウス・ジャック・ビルトのDaisukeのレビュー・感想・評価

ハウス・ジャック・ビルト(2018年製作の映画)
4.2
[作っては壊して]

「殺人鬼の視点」で描かれたこの映画は、淡々と殺人の経緯を5つの章で映し出していく。そう書くと、ただ快楽のために作られた「スナッフフィルム」のようなものだと思われそうだが、本質はそうではないように思える。

この映画の構成は、まず暗闇の中で主人公であるジャックが「何者か」と会話をしているところから始まる。
そこで独白のように語り出したジャックのこれまでを「振り返る」というのが今作の構成だ。つまり、この作品の5つの章からなっている話は「過去」の事であり「現在」ではない。
ジャックとその謎の何者かは、章の途中途中でジャックの殺人について「何故こうなったのか」を語り合うところが実に興味深かった。
いや、ちょっと言いかたが難しいのだけれど「殺人は芸術である」というような事自体に面白みを感じたわけでなく、そもそも芸術をとにかく崇高なものだと信じて疑わない主人公の「一途」な感情が興味を引いたのだ。

しかしジャックが芸術思考なのはわかるが、ただそれだけでは本来殺人には発展しない。彼は一体何故、殺人と芸術を同一視していくことになるのか。個人的には「自分の家を建てる」という行為を見ていて、あれは彼自身の心を「建て直す」という光景にも見えた。
目覚めた欲求に対しての例え話として
「2本の街頭の話」がとてもわかりやすかった。簡単に言えば「欲求が満たされない」という事であり、彼は人を壊して家を建て、人を壊してまた家を建てるを繰り返す。もはやどこにも心の行き場がないような状況に見える。

そんな彼が行き着く先は「エピローグ」のあの場所だ。あそこで「こちら側から行けない場所」を見た時のジャックの表情。
唯一、彼が満たされるものが映し出される瞬間であり、永遠に手に入らない場所だ。

彼は最後に何故あの行動をとったのだろう。今だに最後の心情がわからない。
もちろんサイコパスの心情なのだから、私には、最初から最後までわかっていないのだろう。

いや待て。この映画は誰が作った?
この監督はサイコパスなのだろうか?
違うと思う。
では、何故このような作品を作ったのか。
殺人と芸術を結びつけ、これは芸術だと叫ぶ。劇中、自身の作品を出して自己肯定しつつも、地獄の業火に焼かれる事を望む。

ジャックが家を作るかのごとく、作っては壊して。作っては壊して。この監督はいつもその繰り返しだ。過去作「メランコリア」のように、結局はすべてを破壊しなければ気が済まない人間に思える。

つまり、ジャックの独白は、監督自身の独白に他ならない(と思う)

となると、今回のラストシーン。
あれはそんな監督自身の、自分に対する

「鎮魂歌」

だったのではないだろうか。
Daisuke

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