映画ケーン

隣人の映画ケーンのレビュー・感想・評価

隣人(1952年製作の映画)
5.0
ちょっと衝撃受けた。

今となってはSNSとかテレビとかYouTubeで、「映像」っていうものが身近になっててあまり気付かないけど、映像”のみ”で何かを伝えるのって映画だけだな、と再認識させられた。

隣人同士の2人の物語。
家がハリボテでいかにも偽物なんだけど、それを見ただけで「家です」ってのが分かる。演劇もそうだけど、この映画ではそれをあくまで表現主義的な物として扱っている。
「映画」というと「映像を記録するもの」だからどうもリアル思考に行きがち。正直僕もリアルな方が好きだけど、偽物でも意図した事が伝われば良いんだ、という事。
場所は綺麗な緑の芝生。その上にハリボテの家が2つ。男2人が手前に来て、椅子に座って仲良さそうにタバコの火を分け、2人共新聞を読んでいる。しかし、この後、2人は壮絶な戦いを繰り広げるのであったッ…!!

この抽象化された世界で2人の間に突如、花が一輪咲く。2人はその花の美しさに心惹かれ、何とか自分の物にしようと躍起になる。2人一緒に花を眺めれば良いものの、どうしても自分の物にしたい。
それで、男は家と家の間に柵を作って花が自分の敷地内である事を示す。するともう1人が「いやいや俺の敷地内だ」と、花が自分の敷地内に入る様に柵を移動させる。
こことか小学生の頃に「ここ、俺の陣地なー!」ってやってたの思い出して笑っちゃったw
その後はどんどん戦いが激化していって、相手の家を壊して(ハリボテを倒すだけ)、子供と妻を殺す。お互いがどんどん醜い姿に変貌していく。ボロボロになった2人は死んでしまう。
一緒に分ければ(眺めるなりの「楽しむ」の意)良い事を、自分の物にしようとして人が死んでしまう。

ちょっとメッセージが直接的過ぎる気もするけど、凄く良い。

悲しさを煽る音楽も良い。バイオリン?(弦楽器だって事だけは分かったぞ…!)

男達が喧嘩してるところはちょっとウルッと来た。
それも、家、2人の男、花、争い、と非常に抽象化されてる為にあらゆる事に置き換える事が出来る。「花」は「平和」だとも「好きな人」だとも言える。
「何も喋らない(セリフが無い)」からこそ置き換えによって普遍的になる。
これこそ映画の凄さなんじゃないか。
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