しの

インディ・ジョーンズと運命のダイヤルのしののレビュー・感想・評価

3.7
正直、めちゃくちゃ面白いわけではない。しかし終盤の展開で大いに泣いた。少なくとも近年ありがちな長寿シリーズテキトー続編ではないと思った。あのラスト、真摯だ。

このシリーズの核は冒険活劇自体ではなく、「神秘はそれを求めている過程が一番豊かなのかも」というテーマだと思っていて、そこに近づくだけに留めようという儚い美しさと、でも得るものはあるはずだという希望が常にある。少なくとも本作はそこがブレなかった。

この映画、正直なのだ。1969年パートになると、いきなりインディの年老いた生々しい体つきをハッキリと映してしまう。これは老体に鞭打つ映画ですよ、という宣言を最初にしている。だからかつてのようなキレキレ活劇は期待できないし、実際テンポは遅い。なのに陸海空のアクションを詰め込んできて、しかも1シーンがやたら長く冗長だ。しかし、それも老いたインディのテンポ感に合わせているということだと思う。全体に楽観さがなく地味なのは監督の色でもあるが、時代に取り残されたインディの内面のトーンでもあるだろう。

ではその冒険の先にインディは何を「見る」のか、という終盤が気に入っていて、とうとう彼は自分の憧れていた神秘そのものと同一化できる機会を得てしまう。神秘を「見る」ことができなかった『レイダース』からずっと、ただ追い求め夢想するだけだったものを。これは映画というフィクションそのものの話でもあると思う。というかこのシリーズにおける「神秘」とは、そのまま映画の「虚構」に置き換えられる。結局そこに行くことはできないけれど、でもそれを求める過程そのものが活劇として、映画として、人生として価値あるのだと。

そう考えると、終盤の展開は最終作に相応しいと思った。そしてインディなら(ましてや本作の状況の彼なら)そうするよなと思う。その意味でも「正直な」話だ。そもそも彼は完全無欠のヒーローというより、むしろ神秘に呑み込まれうる危うさも常にあったわけで、それは過去作でも幾度となく描かれてきた。

遺物に想いを馳せてきた男の行く末として、自身が「遺物」になるべきかという問い。もう誰が自分を求めてるんだ。もう終わりでいいじゃないかと。でも我々観客からしたら、そうじゃない。やっぱりここに居てほしい! だってずっと彼を観てきたのだから。そしてそれはまさに「追い求める過程自体の価値」そのものではないか。彼を愛しているひと(我々)がいるということ自体がその証明になっている。シリーズを通じて描かれてきたテーマと構造を、これまでの彼の人生の総決算に活用してきたのは非常に感動的だ。

もちろん、こう言っている自分も手放しでは褒められない。やはり「追い求める過程」(この場合終盤までの2時間)がそこまで面白くないのはどうかと思うし、何より終盤の展開にあたり非常に重要なキャラクターであるはずのヘレナのドラマがイマイチよく分からないのは致命的とも思う。一応劇中で仄めかされはするものの、もう少し明確に「彼女は実は単なるペテン師ではなくこういう葛藤があって……」というドラマを強調して欲しかった。あと「追い求める過程」の豊かさとして、このシリーズには知識礼賛のテーマがあって、神秘の争奪戦が実質的にはインディの知識の争奪戦にもなっているという構造が重要になる。しかし、今回は悪役が知識なしにインディに応戦できてしまうのでここは気になった。それこそそこでもっとヘレナを活用すべきではと思う。

他にも、あのキャラそんな扱い? とか微妙な点はあるが、しかし自分は少なくとも『クリスタル・スカル』でこのシリーズが終わりにならなくて良かったと思った。確かに、好きだった活劇映画の痛快さがなくて真面目で地味……みたいなところ含め『007 NTTD』と比較したくなるのだが(元ネタだし)、ずっとお預け食らった末にアレだった後者と、ずっと楽しませてくれた末の花道である本作とでは、やはり根本的な違いはある気がする。年老いたインディに寄り添った正直な作りの末に総決算を果たす着地は、他の無理くりな畳まれ方をしたシリーズに比べて上品で幸せだったと思う。

※感想ラジオ
【ネタバレ感想】大激論!このラストは祝福か呪いか?『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』 https://youtu.be/W-VOljfn5oE
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