茶一郎

バース・オブ・ネイションの茶一郎のレビュー・感想・評価

バース・オブ・ネイション(2016年製作の映画)
4.1
 「白」が「黒」になる。
 まずは、白い綿花が血で染まり、白人の住む家の白い壁に灰色のセメントを塗っているのは今作の主人公ナット・ターナー、そして、ナットの信じる神が揺らぐとき、白く光る月は黒い雲の中に隠れた。
 
 今作は、一人の選ばれし者が光に導かれ立ち向かう話であり、何より『新・國民の創生』あるいは『真・國民の創生』かもしれない。企画自体が、とても映画史的に重要な意味を持つ。
 製作・監督・脚本・主演を務めたネイト・パーカーの尊い挑戦に、頭が下がり切って地面にめり込んでしまう。
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 黒人迫害を英雄化した『The Birth of a Nation』に対して、100年越しでようやくアンサーを返すことのできた黒人監督による『The Birth of a Nation』、今作。

 右傾化するアメリカ、暴力により白人とアフリカ系との溝が深まっていく昨今に、今作は何と挑戦的か!一体、どんな問題作だ!と思ったら、これはこれは娯楽作としてフツーに面白いバイオレンス革命映画だから驚いた。

 冒頭から、黒人を人間として見ていないような白人による抑圧と、黒人たちの生活、家族、結婚、本来あるべき人間としての幸福な一面が交互に語られる。次第に、白人たちの理不尽な暴力は、その黒人の幸せを徐々に侵食してきた。バネが外力により縮むと、やはり後はビヨーンと一気に伸びる。
 今作では、革命の首謀者ケイト・パーカーを明らかな「神化」していた。選ばれし者として、体に「聖痕」を持って生まれた彼が、聖書を片手に神の言葉で仲間を煽動する。磔にされ、鞭打ちされた彼が見る光景は、彼を導く「光」、そして「天使」のイメージ。その光に導かれ、蘇ったかのように無敵化、神化していく。
 「神化」というと、やはり誰もが連想するのは、エンドクレジットにあるメル・ギブソン大先生。『ブレイブ・ハート』と『パッション』(最初は主人公を自分で演じる予定だった)の「オレによるオレの神様化」が頭をよぎる。(作品と監督本人のスキャンダルとが結びついて評価されるのもメル・ギブソンぽい!?)
 「神化」、それ自体が目的の『エル・トポ』と言ってもいいかもしれない。
 そして、『エル・トポ』よろしく、今作の神が起こす事件は、史実の通り悲惨な「黙示録」。暴力に対しての暴力が何も解決しないのか。それでも、自由に対する意志が受け継がれていく希望的なラストに心が熱くなる。
 
 アカデミー賞の季節になると、その「黒人役者・作家不在」の受賞候補に批判が出る。そんな中、今のアメリカ映画界に、反旗を翻したのは紛れもないネイト・パーカー監督。私は、監督のアフリカ系映画人としての強い野心を見た。ネイト・パーカーもナット・ターナーの崇高な意志の継承者だ。
茶一郎

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