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天使の影のnetfilmsのレビュー・感想・評価

天使の影(1976年製作の映画)
4.2
 オペラが鳴り響く鉄橋の下では何人もの娼婦たちが連れ立って並んでいる。その中から美しい娼婦たちが次々に消えて行く。その品定めの瞬間だけが男と女がときめく瞬間なのだ。美しく知的な野心家のリリー・ブレスト(イングリット・カーフェン)は男たちに積極的に愛してもらおうとは考えていない。彼女は退廃的で哲学的な言葉を吐くばかりでセックス・アピールのないほとんど客の付かない娼婦だ。彼女は、自分が稼いだわずかなお金をひたすら競馬やギャンブルに費やす怠惰なボーイフレンドのラウル(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)に全て注ぎ込んでいる。いわゆるジゴロの洗脳に完全にやられたリリーはダメ男を更生させるのは自分しかないと思い込む。当時、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの2人目の妻だったイングリット・カーフェンとは離婚してそんなに時間が経っていないが、今作の主演女優に彼女を起用し、自分は彼女の恋人と脚本を担当するというある種、倒錯的な構造を持つ。然しながらナチズムの迫害から逃れ、自由を手にした金持ちのユダヤ人(クラウス・レーヴィチュ)と呼ばれる町の権力ブローカーは彼女の内面の魅力に気づき、愛人として経済的に囲って行く。街の有力者に圧倒的な劣等感のあるラウルはリリーの無意識的な姿勢に絶望し、男への嫉妬を繰り広げる。

 別れた元妻と悲劇的な男のこんな痴態を自分で監督せず、盟友で共同経営者のダニエル・シュミットに監督させること自体、いったいどんなプレイなのかと思う。驚くべきことに自分はフリー・セックス、フリー・ジェンダーを公言している人物で自分は良くても、相手が別の男にのめり込むことは心中穏やかではいられないラウルという人物をライナー・ヴェルナー・ファスビンダー本人が嬉々として演じる。ファスビンダーは言葉に出来ない言葉を無意識的に映像化していたのだ。『イノセンツ』の猫の落下の描写が今作にもオーバーラップして驚いたが、暴力が無ければ成立しない恋愛関係を共依存と呼ぶならば、今作は観念の檻に閉じ込めたはずの男の病巣から、ヒロインを掬い上げんとする奇妙な男が立ち現れる。街の秩序を一手に引き受けようとする男の姿は明らかに腐敗しているが、リリーには被膜に満ちたそこが見えない。リリーの衣装の白と黒の変化も見事だ。社会的規範や社会正義のみで時代の空気を切り裂こうとするラウルも名無しのユダヤ人もまた、世界の秩序にアンチテーゼを説き、この世界でもがき苦しむ。然しながらファスビンダーはリリーの父のミュラーがユダヤ人虐殺に大きな影響を及ぼした人物であることを明示するのである。同僚のエマ(イルム・ヘルマン)の冷笑と壁際の決別を3度繰り返す物語は、処刑を完了したかに見えてその辺りの結末をぼんやりとしか示さない。レナート・ベルタの図式的な構図も女たちが嵌った蟻地獄のような世界と愛の不毛を切り取る。極めて演劇的な悲劇的な戯曲を映画に落とし込むならこれしかないだろうという所にダニエル・シュミットの演出はピタッ、ピタっと落とし込もうとする。その様子が痛快で、ファスビンダー研究にとっても別視点を運び込んでいる。
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