ちゃんしん

マザー・テレサからの手紙のちゃんしんのレビュー・感想・評価

マザー・テレサからの手紙(2014年製作の映画)
3.8
真の教えや物事の真髄は人の考えのさらなる上にある…。

無宗教の自分が常に感じることは、本物の教えや物事の真髄というものは、現存する数多の凝り固まった既存の宗教概念のさらに上、人の思考能力では全く行き着くことが出来ない場所にある…ということだ。
今ある既存の宗教概念は、あまりにもその概念に固執することが重要視され続けていて、物事の本質を客観的な尺度、または、多面的な考察を持って判断することを拒絶している…。
これでは、自らの手で自分の目を瞑り、耳を閉じ、鼻を塞いでいることと同じことだ。
それは明らかに自身で物事の本質を思考することを拒否し、自らに都合の良い思考を自らの取捨選択を限定することで導きだしているに過ぎない…。
これでは、真の教えや物事の真髄を探求していくことがその目的であるはずの宗教従事そのものが全く意味を持たないものとなってしまう…。
本来、宗教というものは、自らの生き方や在り方をより良い方向へと導く為に、日々、探求し続けていく…ということが求められているもののはずだ。
だから、常に自分自身を見つめ、自分自身の行いを顧み、自分自身の明日への糧になるように修練を続けることが、宗教従事者にとっては一番大事な課題であるべきものだと思う…。
物事の本質への探求や日々の修練を拒否するのなら、もはやそれは宗教とは呼ぶことすら出来ないものでしかない。
ただ、その概念に洗脳されている思考集団という認識が正しいように感じる…。
これは、やはり宗教組織という組織形態の在り方が一番の問題なのだろう…。

世界中に数多の宗教組織が存在しているが、本当に人間が求めるべき教えやあるべき物事の真髄は常に同じものではないのだろうか?と自分は思っている…。
本来、ほとんどの人間は誰もが幸せな生き方を求め、平和な社会を求め、より良い明日を求めている。
結局、誰もが理想だとする思想や概念、社会や環境の在り方の基礎的部分は同じものであるはずだ…。
その同じことであるはずの理想を、数多の宗教組織が自らの独自性や優位性による利害を求める為にわざわざ違いを主張することに利を見つけて人間を社会を分断し続けていく…。
もはや、どの宗教もあるべき姿とはかけ離れた自分たちの宗教組織の為の概念に成り下がってしまっている。
結局、多くの宗教組織自体が本来の役割を忘れた本末転倒の存在でしかないように感じてしまう。

本来、宗教と宗教組織は全くの別物であるはずで重視されるべきは宗教そのもののはずだが、おかしなことに宗教と宗教組織を同一視してしまう信者や宗教組織が絶対的存在として教えとの立場が逆転してしまっている宗教すら存在している。

とんでもなく意味不明なことだ。

宗教組織よりも宗教、宗教よりも教えや真髄が最も大切なものであるはず…。
最も大切な教えや真髄は宗教という概念よりも人間が到達出来ないさらなる高みにあることを忘れてはいけない…。
だからこそ日々、間違った行いをしないように自分自身を見つめ直して生きていくことが必要とされている。
それが本来、人に求められたあるべき姿だろう…。

大事なことはあくまでも自分が主であり、宗教は従の存在でしかないということを忘れないこと、宗教は自分の理想的な生き方や在り方を求める為の道具でしかないことを忘れないことだろう…。
宗教が主になり、宗教組織が主なるものだと認識してしまえば、道具に支配された組織権力に支配されたただの隷属者に成り下がってしまう。
世界をみれば宗教や宗教組織の奴隷になったものが引き起こす事件や社会問題は山ほどあるのが現実だ。
主従関係が破綻した結果、自分の人生に活かすはずの道具が自分の人生を支配し破壊する…。
哀しき末路でしかない。
宗教は自分の為にあるものであり、自分が宗教や宗教組織の為に存在するのではない。

マザー・テレサさん…、彼女は宗教の垣根を超えた本物の聖人だったように思う。
それが今の社会で求められるべき人間の在り方だとつくづく思う…。
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